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鎚のささやき


1.

 ブリテイン北街路の一角にある音楽講堂。
 今日もそこからは、まるで岬の突端から臨む大海原にたゆたうような、澄んだ旋律が穏やかな風に乗って聴こえてくる。
 ぽかぽかとした陽気に眠気を誘われたのか、小さな木のベンチに座って両膝に頬杖をつき、うとうとと鼻提灯を作っている少女が講堂向かいの鍛冶屋の前にいた。
 ベージュ色のショートカットが似合うハツラツとしたその少女は、目下、冒険者が日頃から使っている装備品の修理をする事を趣味としていた。
 そんなちょっと変わった趣味の持ち主である彼女には、ちょっと変わった保護者がいつも付き添っている。
『起きるがよい、タスティーナ。いつまで寝ておるつもりじゃ』
「ふわ〜ぁ。だってこうもいい天気だとさ、眠くなっちゃうのは仕方ないじゃん?」
 お客さんも来ないしさーと言いながら膝を抱え、本格的に寝に入ろうとする。
 心底呆れたような顔……をしているかどうかは判らないが、その保護者はやや呆れた口調で少女に語りかける。
『安心せい、客ならじきにそこを通るであろう』
「ほんとー?」
『うむ、わらわには分かるのじゃ。鍛冶を必要としている人間の心がな』
 少女は自身ありげにそう言った保護者を手に取り、いぶかしむように見つめる。
『本当じゃ! わらわを誰だと思っておる!?』
「古【いにしえ】のスミスハンマーでしょ。名前はミミール、年齢は500歳、独身女性で子供無し……」
『なっ、馬鹿者! 間違えるでない、まだ489歳じゃっ!』
 やや怒った口調で五十歩百歩の違いを指摘するスミスハンマー。
 彼女、もといその古の鎚は、少女の家に代々伝わってきた物であった。
「11年の違いなんて、その歳じゃ大して変わらないじゃない」
『やかましい! ほれ、さっき言った客が来たぞ』
 タスティーナが顔を上げると、横目でちらちらと見ながら通り過ぎようとしている男がいた。
(あれ、あの人かな?)
 歩幅が段々と短くなり、何か躊躇っているように見えた。
「修理いかがですかぁ〜?」
 思い切ってそんな声を掛けてみると、男は立ち止まった。
 手に持っていたミミールが「やはりな」とでも言いたいのか、自慢げにふふんと鼻を鳴らす。
 ――当然、彼女に鼻なんてものは付いてないが。
「お嬢ちゃん、そこで何してるんだ?」
「修理です修理。あたし鍛冶屋だから、皆さんの剣や鎧を修理したくてここにいるんです」
「そうか。で、鍛えてくれるのは嬢ちゃんのパパか? ママか?」
 お互いの目を見合ったまま、数秒の間が空く。
「……えっとぉ、だからあたしが鍛冶屋だから、あたしがあなたの装備品を修理してあげましょうか? って聞いてるんですよぉ」
 自分でも何を言ってるのか段々解らなくなってきた少女。
「ん? まさか嬢ちゃんが叩くのかい?」
 うんと頷いた瞬間、男が吹き出して大笑いする。
「だははは! 面白い冗談だ。小便臭いガキが鍛冶屋気取りか」
 急に目の前でそんな事を言われてしまったので、少女の顔は一瞬にしてクラーケンのように赤くなり、みるみる膨れっ面になった。
「気取ってなんかないもん! タスティーナは伝説の鍛冶屋なんだからっ!」
 お腹を抱えて笑い転げていた男だったが、“伝説”という言葉を聞いた途端にぴたりと止まった。
「ほぅ、伝説のブラックスミスタスティーナちゃんと言うわけか。なるほど……」
 声はさっきまでと変わらずおどけたものだったが、目つきは下卑た人間を見るかのような、少女が今までに見た事がないものに変わっていた。
「それなら、ちょっとゲームをしないかい?」
 男の眼光に鋭い物が宿った瞬間を、ミミールは見逃さなかった。

2.

 修理証書というものを鍛冶師自ら発行出来るようになってからは、タスティーナだけではなく、好んで修理を買って出ていた者達に空白の時間をもたらした。
 その空白の時間を、もっと有意義な他の事に使う人間がいれば、非生産的に日常を過ごす人間も決して少なくはなかった。
 時代の流れに逆らっているわけではないのだ。と、己の本分を自覚していたタスティーナはそれでも一人、今までと変わらず鍛冶屋の前に座り、修理に訪れる人間を待っていた――。

「ゲームって? 修理しないんなら帰ってもいいよ? 別にもう怒ってないから」
 そうは言いつつ、まだ口調には刺々したものが混ざっている。
「修理じゃないんだ、強化を頼めないか?」
 アンビルを挟んで向かいに立った男は、腰から下げていた剣を鞘ごと渡した。
 ロングソードよりも少し短い広刃の剣。ブロードソードである。
 少女は慣れた手つきで鞘から剣を引き抜くと、その剣身はラピスラズリのように青い色を湛えていた。
「これを強化しちゃうの? 十分な力を秘めているし、もったいないよオジサン」
「オジ……、お、俺は中途半端な色が嫌いでね。それを“完全なる冷属性”に鍛えて欲しいのさ」
 青年期に入ったばかりの若者の罪作りな一言に、とっくに青年期の終わりを迎えた男が少し動揺を見せる。
「ほんとにいいのね? じゃあ、お代は一律1000gpで〜す」
 手を揉んでお金を受け取る準備をする少女を、右手を挙げて制する。
「いや、ここでさっきの話だ。キミが強化に成功したら倍払おう」
 それを聞いて、くりっとした目が更に丸くなる。
 ただし。と、口の端を僅かに吊り上げた男が話を続ける。
「もし失敗したら、砕けた破片を3000gpで買い取ってくれ」
「ええぇー!! 何それ! オジサンずるいよぅ!」

 一部始終を聞いていたミミールがやれやれといったように、精神感応を使って少女をたしなめる。
『突っ込む所が違うであろう、馬鹿者!』
『だってだってー、ミミールも聞いてたでしょ!? 何であたしが鉄屑を買い取らなきゃならないのよー』
 古の鎚を継ぐ家系の人間は、一様に皆、その鎚とだけ心を通わせる事が出来る。
 ゆえに、例に漏れずこの少女も、鎚の精神感応に応える事が出来た。
『しかし、そうそう壊れるものでもないぞ』
『え〜? じゃあ、ミミールはやれって言うの?』
『面白いではないか。このわらわに喧嘩を吹っ掛けてくるとは、中々骨のある男ぞ』
 喧嘩を吹っ掛けられたのはあたしなんですけど。とは、間違っても頭に思い浮かべようとは思わなかった。
『しかしおぬし、どのインゴットを用いれば良いかは分かっておるのか?』
 その一言に、「う……」と言葉を詰まらせる。
『はぁぁ、頭が痛いわ』
 大丈夫? と、ミミールの頭部の部分をアンビルにコツコツと叩きつける。
『やめいやめい! もういいから良く覚えておくのじゃぞ?』
 ふんふんとタスティーナが頷く。
『そのブロードソードは八割の冷属性であるから、シャドウ、アガパイト、ヴァロライトの三種類のどれかで叩け。成功すれば、最大限の青き輝きを放つであろう』
 それを聞いて早速バッグからインゴットを取り出そうとした所に、更に付け加える。
『ただしじゃ、今言った順番に難易度が上がるぞ。成功させたかったらシャドウを使え』
 それを聞くと、タスティーナは男に強化を引き受ける旨を伝えた。

(――しかしわらわには、先程のあやつの眼がどうも気になって仕方ない)

 もちろん、そんな二人のやり取りは聞こえていないはずだったのだが、しばらく上の空だった少女が急に作業を始めようとしたのを見て、男はすかさず先手を打った。
「嬢ちゃん、1000gpも取るからには、良いインゴットを使ってくれるんだろうな?」
「あ、うん、シャドウを使うつもりだよ」
 待ってましたとばかりに、男はそれを遮る。
「シャドウなんて用いられるぐらいなら、嬢ちゃんには最初から頼まないさ。伝説の鍛冶屋だと聞いたから、ヴァロライトを使ってくれるかと期待してたんだがなぁ」
 ミミールは男が小さく笑ったのを見て、危惧していた事が徐々に起こりつつあるのを感じていた。

(この男、もしや……)

3.

 タスティーナの父親は腕の良い鍛冶屋であった。
 そんな父の所に訪れる客のほとんどは、何故かお金を払っていかなかった。
 それでも笑顔で客を見送る父の背中。幼い頃の彼女にとってそれは、家から望むケンダルの山脈よりも大きいものに見えていた。
 やがて物心がつき、父のような鍛冶屋になりたいと心に決めた3年前、その目標が亡くなってしまった。
 彼女が12歳の時の事である。

『聞け、タスティーナ』
 父から受け継いだ鎚が、持ち主である少女に囁く。
『そこのギルドの連中の噂でな、ここ最近、鍛冶の人間に無理難題を吹っ掛けて陥れている人間がおるそうじゃ』
『えぇっ! この人がそうなの?』
 即断即決がモットーのミミールにしては珍しく、己の判断に自信が持てずにいた。
『分からぬ……。しかし、この男は確かに鍛冶の人間を求めておった。心から必要としておったのを感じたのじゃ』
 それは間違いない。が、ならば今の食い物にされかかっているこの状況をどう説明すればいいのかが解らなかった。
 ミミールの“らしくない”部分を見れたのは嬉しかったが、いつまでもそんな彼女を見ていたくなかった少女は、暗雲を払拭するかのように自分の思いの丈を送る。
『大丈夫! ミミールが言う事ならきっと間違いないよ』
『ふふ、世辞を言う暇があるならさっさと用意せい。そしてこの男を見返してやらんか』
 父親もきっとこんな二人三脚をしていたのだと考えると、タスティーナは無性に嬉しくなった。

 ――古の鎚には不思議な力がある。
 それ自体に人格が伴っているのは勿論の事だが、遥か昔から受け継がれてくる過程の中で、それを所持してきた者達の鍛冶に関する知識や情報を吸収し、内に秘めるようになった。ゆえに、その鎚を用いて鍛冶を行った場合は、通常の鍛冶道具よりも、高い強度と作成成功率を使用者にもたらしてくれる。
 ……はずだった。

 カンッ!
       カンッ!
            ……バキーンッ!

 そんな金属音がブリテインの北の空に響いた後、目に涙を浮かべながら銀行に向かう少女がいた。
『えぅ、ひっぐ……。何でミミールを使わせてくれないのよぉー!』
 ずずーと鼻を啜りながら文句を垂れる。
『このたわけっ! おぬしがわらわを使うなぞ千年早いわ!』
『じゃー何歳になればいいってのょぅ……』
 結局、あのブロードソードは綺麗に折れてしまった。
 それはもう清々しいくらいに。
 真ん中からポッキリと。
『しかし、五割の成功率ぐらい根性で成功させぬか』
『無茶言わないでよぅ。運が悪かっただけだってば〜』
 そのぼやきを聞いたミミールが、軽く溜息をついた。
『おぬし、剣が折れてしまった原因は、本当に運が悪かっただけだと思っておるのか?』
『五割って二分の一でしょ? ついてるかついてないかでほとんど決まらない?』

 ここで強化に失敗した原因を話してしまう事は簡単だった。もっとも、それをこの少女が理解できるかどうかはまた別なのだが。
 しかしそれだけでは、今現在の状況を改善する事しか結果を出せない。
 この先何年も鍛冶屋として生きていくであろう彼女の事を考えるならば、今ここで自分が答えを教えてしまう事は好ましくなかった。それは子を思う親ならば、やってはいけない事の一つであると知っていたから。
 恐らく、それを教えられる人間がいるとすれば――。

「おかえり、お嬢ちゃん」
 城の堀に面した芝生に寝転がり、紫煙をくゆらせていた男が振り向く。
「ん!」
「なんだこれ?」
「んーー!」
 余程悔しかったのか、3000gpを詰めたバッグを無言で差し出すタスティーナ。
「あ、あぁ、よし、約束通りもらっていこう。だははー……」
 何か煮え切らない勝ち誇り方をしている男。しかし少女は、そんな事は気にも留めなかった。
「あーん、成功すると思ったのになぁ……。だって、五割よ五割!」
 思いっきり開いた五本の指を男に向けて、ベンダーのセール文句のような事を言う。
 男はそれを見ると、少女の指を優しく一本ずつ閉じていった。
「え、何するの?」
 戸惑う少女に何も答えず、五本目の指を閉じた所で口を開いた。
「ゼロだ。お嬢ちゃんが強化に成功する確率はゼロだったんだ」
 信じられない物でも見ているかのように、握りこぶしを作っている自分の右手を見つめる少女。
「ゼロなんて嘘よ! だってミミールが五割だって……っ」
 古の鎚の名を出してしまい、咄嗟に口をつぐむ。
「そう、確かにその人が言ったように、普通に叩けばその確率で成功しただろう」
 友達とでも思ったのだろうか、男がその名前に興味を示さなかった事にほっと胸を撫で下ろす。
「問題は、いつ“ゼロ”になってしまったかという事だ。そして、ゼロにしない為にはどうしたらいいのか?」
「どうしたらいいの?」
 間髪入れずに答えを聞こうとした少女に苦笑いすると、男は立ち上がり、服についた芝を軽く払った。
「明日までの宿題だ。また来る」
 家がそっちにあるのか、墓場がある北に足を向ける。
「あ、待ってオジサン。名前は?」
 自分に姪っ子がいたらこう呼ばれるのだな。と、ふと思う。
「ジェイナスだ。オジサンは勘弁してくれないか? タスティーナ」
「うん、わかった、ジェイナスさん。またね〜」
 えへへと笑いながら小さな顔の横でぱたぱたと手を振り、男を見送る少女。いつの間にか、お金を巻き上げられてしまった事は頭から離れていた。

 鍛冶屋の前にまた座り込み、さっきから頭に何度も浮かんでくる“ゼロ”という言葉について考える。
 ふと横を見ると煙草が燻ぶっているのか、たなびく煙が目に入った。
「んも〜、ちゃんと消さなきゃダメじゃない」
 手に取り消そうかと近づくと、ふわりと煙草の匂いが鼻先を掠めた。
「――あれ? この匂いどこかで」
 その甘い香りは、父がまだ生きていた頃に確かに嗅いだ事がある匂いだった。

4.

 一人の戦士がいた。
 エティンに遭えば腰を抜かし、オーガを見れば卒倒する。エレメンタルが現れる場所には一歩も近づこうとせず、モンバットにさえいいように弄ばれてしまうほど弱い戦士。
 戦いには向かない気弱な性格のせいでもあったのかもしれない。お陰で、傍目から見ても気の毒になるぐらい貧乏な暮らしぶりをしていた。
 そんな彼をいつも支えていたのは、一人の鍛冶師だった。

「うーん、わかんないよぅ……」
 小さな息遣いで真っ赤に燃えている鍛冶炉の炎を見つめ、昨日、ジェイナスが出した問いについての答えを必死に導き出そうとしている。
『のぅ、タスティーナよ。おぬしはどうして鍛冶の道を選んだのじゃ?』
「えっ?」
 それは少女が生きてきた人生の中で、初めて聞かれた質問だった。
 今もミノックで平和に暮らしているであろう母親は、一人娘が父と同じ道を進むと決めた時にも、ただ一言「頑張りなさい」とだけしか言わなかった。
 だから、理由まで聞かれたのはこれが初めてである。
『代々鍛冶を営んできた家柄であるとは言え、何も継ぐ事を強制されたわけではなかろう?』
「うん、お父さんには好きな事をやれっていつも言われてたよ」
 その時の事を思い出しているのか、コットンのようにふわふわとした白い雲が浮かぶ空を見上げる。
『ならば何故じゃ? 何故わらわをその手に取った?』
「ねぇ、何でそんなに怒ってるのよぅ〜?」
『やかましい! 聞いておるのはこっちじゃ! いつまでも答えが出せん不甲斐ない持ち主に呆れておるだけじゃ!』
 もし父がこの場にいたら、ミミールと同じ事を聞いてくるかもしれない。少女はふと、そんな気がした。
 もっとも、こんなに乱暴ではないと思うが……。

 ――鍛冶の道を選んだのは、ずっと不思議に思っていたからだ。
 何故、お金を払っていかない客に、父はあれだけの笑顔を向ける事が出来たのか?
 よその店では「二度と来るな」と追い出されてしまうような客に、何故「また来てくれ」と言う事が出来たのか?
 そんな甲斐性のない父に、何故、母は文句の一つも言わなかったのか?
「あなたにもその内分かるわ」と言われたから、この道に進む事を決めた。
 同じ道を歩めば分かると思った。

『その通り。もう分かってもいい頃合いじゃ。おぬしが大好きな修理をしてやった人間どもの顔を思い出せ。皆、どんな顔をしておった?』
「うん、みんな喜んでいたよ。安心したようなほっとしたような顔をしていたなぁ。だからあたしはね、みんなのそんな顔を見れるのが嬉しいから修理をするんだぁ〜」
 足をパタパタさせながら言った少女の言葉を聞いて、古の鎚は一人静かに笑った。

(ふふ、それでいい。あとは、わらわの力次第……か)

 昼過ぎ、例の男ジェイナスは昨日と同じ時間にやってきた。
 遠くからタスティーナの姿を確認すると、何故か軽く微笑んだ。
「やぁ、今日はお客さん来たかい?」
「いーえ、まったくさっぱりぜんぜん来る気配が無いですよーだ」
 知ってて聞いてるんじゃなかろうかと、少し拗ねる少女。
「だはは。そんじゃ俺が最初の客ってわけかい」
「最初の客ぅ〜? あ、まだ宿題は出来てないよ? もう少しで解りそうなんだけどなぁ……」
 ほぅ? と、やや驚いた表情を見せるジェイナス。それならばとバッグに手を入れて、一本のダガーを取り出した。
「へぇ〜、銀のダガーなんて珍しいなぁー」
「まぁな。威力が小さいし間合いの取り方も難しいから、好んで使う人間はあまりいないかもな」
 器用にクルっと回転させ、柄を少女に向けたまま手渡す。
「それで? 客って事は、これを修理したらいいの?」
「いいや、ブロンズで強化してくれないか? もちろん、この通りお金は払うさ」
 途端にタスティーナの顔が強張る。
 恐らく、昨日の失敗したイメージや感触がまだ残っているのだろう。
「もし失敗したら? 今度はあたしは何をあげなきゃいけないの?」
 今にも泣き出してしまいそうな表情をし、上目遣いで男に聞く。
「う……、そんな目で見ないでくれ。今回はいらないんだ、普通に強化して欲しいだけだよ」
 慰めるように優しく諭すと、曇り空のようだった少女の顔に晴れ間が差した。

 カーンッ
       カンッ!

「わっ、出来たっ!」
 昨日の事が嘘の様に、見事にダガーはブロンズのコーティングに包まれたのだが、手を施した本人がその事に一番驚いている。
「見事だ、嬢ちゃん。ヘルマンさんが今のキミを見たら、きっと喜ぶだろうよ」
 ダガーをまじまじと見て喜んでいた少女は、その一言に別な驚きを見せる。
 顔を上げると、ジェイナスは真っ直ぐ温かな視線を少女に向けていた。
「……え? ちょっと、何であたしのお父さんの名前を知っているの!?」
 男はダガーを受け取ってバッグに仕舞うと、今度は腰に提げていた長めの剣を外す。
 そして少女の疑問には答えず、その剣を前に差し出して話を続けた。
「さて、今度は昨日の答え合わせをしようか」

5.

 丸くなったという表現が一番妥当なのだろう。
 それとも、単に慣れたというだけの事かもしれないが、少女が父から受け継いだばかりのミミールは、こんなにも時折可愛らしさを見せるような性格ではなかった。
 知らぬ、やかましい、わらわに触れるな、小娘、下賤の者。何かというと、そんな言葉ばかりが頭に飛び込んでくるほどだった。
 しかし、「小娘」を使わなくなった頃から、タスティーナの事を少しずつ認め始めていたのかもしれない。

『もっと簡単に考えるのじゃ。おぬしは昨日何をした?』

 最初の試みの時には、ある程度の強化成功率はあったものの失敗してしまった。
 それは、運に左右されずとも、普段通りならば成功していたはずだと男は言った。
 しかし、先程のダガーは何の問題も無く強化できた。まるで成功して当然であったかのように。
 強化する際、昨日やったのに今日やらなかった事――。

 「あぁーっ!」と、少女が声を張り上げる。

『そうだ、あたし昨日はゲームをしたんだっけ』
 その言葉を待ち望んでいたように、ミミールが話を始める。
『その通り、それが原因じゃ。おぬしは知らず知らずの内に、勝ちへの欲求を出してしまっていたんじゃ』
 鍛冶の人間が扱う武器防具達は、己が身を預ける人間の心を敏感に感じ取るらしい。
 昨日のブロードソードもタスティーナの心を読み取り、自分を見ていない鍛冶師の少女にへそを曲げてしまったのだ。と、ミミールが話し終えた所に、男がタイミングを見計らったかのように信じられない事を言った。

「もういいかな、“お二人さん”」
 その瞬間、この人は今何を口走ったんだというような目で見る少女。
「な、何のことよっ? あたしは一人だってばー」
 必死に誤魔化そうとするが、年の功が足らないせいか嘘をついてるようにしか聞こえない。
「さて、昨日と同じゲームをしよう」
 まだ一人だと言い張っている少女に剣を渡す。
 ぶつぶつ言いながらも鞘から剣を引き抜いてみると、赤と青の中間色である紫の剣身が、その姿を陽光の下にさらけ出した。
「……デーモンスレイヤー? しかも、すご〜い軽いね。一振りが早そう」
「あぁ、ある人のお手製だ。柄の裏を見てみな」
 何の事かと、鍛冶が名を残す場所である柄頭を見てみる。するとそこには紛れもなく、確かに少女の父の名が鮮明に刻まれていた。
「これ、お父さんが作った剣なの!?」
 いい仕事をしているよな。と、その剣を自慢げに話す男を見て、自分の父が褒められた事を素直に喜ぶ。しかし同時に、何故この剣を渡されたのかを不思議に思う。
「ねぇ、まさかこれを強化してくれなんて言わないよね?」
「そうだ。俺は中途半端な色は嫌いだと言っただろう」
「ふざけないでよっ! あたしやだよっ、父さんの剣を壊したくないもん!」
 少女は怒って男に剣を突き返した。
 故人が残していった物を、安易に破壊の可能性が存在する二択にかけようとした男に腹が立ったからである。
「どうしてもだめか」
「やだっ」
「お金を3倍払おう」
「いらないっ」
「ヘルマンさんの遺言でもか?」
「やらな……、えっ!?」
(今、この人は何て言ったの? ――お父さんの遺言?)
 父が何故こんな事を娘にさせるのかという疑問よりも、そもそもこの男が父を知っている事情というものをまだ聞いていなかった。
「強化に成功したら、親父さんの事を話してやろう」
「もし、失敗……しちゃったら?」
 男はそれを聞くと、少し顔を赤くした。
「今ここでは言えない。その内言うさ」
「な、なに? あたしに何させようとしてるの!? ちょっと、やだっ!」
 少女は何を想像したのか「不潔!」と叫びながら、そこらにあった鍛冶鋏などをぽいぽい投げる。
 そんな二人を見ていた古の鎚は、大きな溜息をついた。

6.

 昨日と変わらず流れてくるヴァイオリンの旋律は、まるで鍛鉄の場の空気を高貴なものへと変えているようでもある。
 果たしてそれのせいかは解らないが、高い誇りを持っているはずのミミールが、初めて持ち主の少女に心を許した。

 ――わらわを使うがよい。

 まさに今、いつも使っている茶色いスミスハンマーでロングソードを叩こうとした瞬間の事だった。
『え、いいの? いつも怒るじゃん』
『よい。あの男の事を思い出したわ。そうか、あの腰抜けであったか……』
 気が変わらない内にと、早速ミミールを手に持つ。
『これ、待たんか。雷属性八割の剣じゃ、何で強化すればよいか判るか?』
『ヴェライトだよ。カッパーでも出来るけど、ヴェライト使えって言われると思うから』
『うむ、それでよい。そしてこれはゲームであるか? 否か?』
『違う、ゲームなんかじゃない。強化してあげたいだけ。お父さんの剣を壊さないように大事に鍛えてあげたい。この人が喜ぶ顔を見てみたい』
 少女は、ただそれだけを頭に思い浮かべて心で願う。
 それを見た古の鎚は、まるで子供が成長した瞬間を目の当たりにした親のように優しく笑った。

 カンッ
       カンッ
            ……カンッ!

 鎚の音が鳴り止むと、ロングソードの剣身からは暗さが抜け、桃色にも近い見事な薄紫色に変わった。
「で、できたぁ……」
 シャツの袖で汗をごしごしと拭い、太陽にかざしてその剣の色を確かめる。
「正解だ、やれば出来るじゃないか。今回は鍛冶師のあるべき心を忘れなかったようだな」
「うん、剣の事しか頭に無かったよ」
 それを聞いて安心した男は、昨日受け取った3000gpが入ったバッグに、更にダガーの分の1000gpを詰めたものを少女に渡す。
 ブロードソードは拾った物だ。と言われ、まだ興奮冷めやらぬといった感じの少女が戸惑っていると、男は昨日と同じく横の芝生に座り、なんとはなしに話を始めた。
「さて、どこから話したもんか――」

 頭上にあった太陽が傾くまでに語った男の話は、少女の父がどれほど冒険者達に頼りにされてきたか、そしてどれだけの人間達に愛されていたかを十分に伝えるものであった。

「そっか〜、何でお代を受け取らないのか不思議だったんだよねぇ。お父さんもやっぱり、みんなの喜ぶ顔を見るのが好きだったんだぁ〜」
 自分も、父が感じていたものと同じものに、幸福感を見つけられた事を素直に喜んだ。
「3年前だったかな。俺はちゃんとツケを返しに行ったのさ。のろのろ歩いていたエティンを襲ったら、何でか大金を持ってやがったもんだからよ」
 その時の事を思い出しているのか、膝をばんばん叩きながら大笑いする。
「それなのに、せっかく持っていったのに『いらねぇよ!』って怒鳴られちまってなぁ……」
 落胆した表情。信頼していた者に突き放された喪失感。
「けど、その時にしてくれたんだよ。自分の娘と代々受け継いできた鎚の話を」
「あたしの話?」
「あぁ、『いずれあいつは俺と同じ道を歩くかもしれん。その時、娘が不遜な鍛冶師になっていたら、遠慮なく尻を叩いてやってくれ』ってな」
 それを聞いた少女は、ベンチに乗せていた小さなお尻を、手でそれとなく隠そうとする。
「あ、あたし、思い上がってなんかないよ?」
「最初に俺と会った時、キミは自分の事を何て言ったかな?」
「伝説……の鍛冶屋……」
 と自信なさげに呟いたところに、「正解!」と言って、少女のお尻をパンっと軽く叩いた。
「ひゃんっ!」
 飛び上がるほどびっくりしてから、徐々に頬を膨らませ始めた少女をなだめる。
「そういえば、ミミールの話ってのは?」
「……ん? あ、あぁ。さっきまで覚えてたんだけどな。ちょっと忘れちまった」
 話そうとしていた事を、誰かに急に口止めされたような不自然さを残す。
 しっかりしてよと呆れた顔を向ける少女。――当の本人であるミミールは何故か沈黙していた。
「まぁそんなわけで、俺は小さな伝説の鍛冶屋ちゃんを戒めに来たってわけだ」
 だははと相変わらず笑うジェイナスに、「もぅ!」と言って口を尖らせた少女は、一つ気になる事を思い出した。
「ねぇ? お父さんの遺言だったのなら、強化をゲームと言って持ちかけたのって、あたしにだけ?」
 それを聞いた男は、コクリと一度だけ頷いた。
「当たり前じゃないか。俺はそんな悪い趣味は持ってないぞ」
 あれ? と人差し指を顎に当てて、首を傾げる。
 そんな可愛らしい仕草を見て微笑んだ男はすっと立ち上がり、「さて、行くか」と呟きながら大きく伸びをした。
「あ、はい、剣どうぞー」
 慌てて手に持っていたロングソードを男に渡そうとする。が、彼は手でそれを遮った。
「それを持っている限り、キミは今日の事をきっと忘れないだろう」
 少女の目から一粒の涙が零れ落ちる。
 ジェイナスへの感謝の気持ちからなのか、別れを予感してのものなのか。
 その涙が通った一筋の足跡を、男は人差し指の背で軽く拭いてあげた。
「ねぇー? あたしがこれの強化に失敗してたら、どんな条件を出すつもりだったの〜?」
 鍛冶屋に背を向け北に歩き出した男の背中に、さっきまで気になっていた事を聞く。
 すると、男は立ち止まり何かを言おうとしたが、上手く言葉にならないような、何か躊躇っているもどかしさを見せた。
 そんなに言い難い事なら聞かない方がいいか。と、少女はそれを諦める代わりに、別の事を聞いてみる。
「あ、あのさー、いつでもいいから修理に来てくれないかなぁ? ほ、ほら、修理証書が発行されるようになってから暇で暇で仕方ないのよー……。別に会いたいとかじゃないんだけどさ……」
 さすがに恥ずかしくなったのか、語尾の方は言葉にならないほど、声が小さくなってしまっていた。
 少女らしさ溢れる勇気を振り絞った言葉を聞いて、何か決意めいた表情に変わった男は、北の山脈を指差して笑顔でこう言った。

 ――あの山々が雪化粧を施した頃、必ず迎えに来ると約束しよう。

             それまではお別れだ、タスティーナ――。

 

The End

 

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