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Pure Fountain



 潮の匂いのする風に吹かれこの場所に立つと、今でもあの時の事が思い出される。
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 その日、俺はスカラブレイの"Shatterd Skull"で食事を取ろうとしていた。
前日は、ジェロームの中堅戦士相手に稽古をつけていた。
彼等は貪欲な熱心さで、俺の時間を一日中食い潰し、食事の時間さえ奪ったのだ。
 とにかく腹が減っていたので、奥の方に居る店員を呼びつけて注文を出す。
注文の多さに少々呆れ顔であったが、私が昨日は満足な食事が取れなかった事を話すと得心した様で、
 キッチンの方に向かおうとしたが、ふと思い付いた様に私に耳打ちした。
「旦那も、あそこに居る女には気を付けて下さいよ」
「何をだ」
「仕事の依頼らしいんですが、ちょっと胡散臭くてね」
「どんな内容だ」
「それが、内容は此処では話せないって言うらしいです。客の間じゃ盗賊の手引きでもしてるんじゃないかってもっぱらの噂ですがね」
 店員は、薄ら笑いを浮かべながらキッチンの方に向かっていった。
 ちらりと女を見る。何処にでも居るような格好だ。
 その気配を察したのか、女がこっちを見ている。
 しくじったと思ったが後の祭りだ、女はこちらに近付いて来る。
 それとなく横の席に座り、少々緊張した感じで小声で喋りかけて来た。
「もし……少々お願いがあるのですが、お話を聞いて頂けないでしょうか」
「何の話だ?」
「申し訳ないのですが、此処ではちょっとお話出来ないのです」
「なるほど、店員の言った通りだな」
 さっきの店員がこちらの様子を伺っているのが見えた。
 女は、唇をかんで硬い表情のまま店員の方を向く。それを見た店員は慌てて奥の方に引っ込んだ。
「奴を恨むな、客の安全を考えるのも仕事のうちだ」
「どうりで誰も話を聞いてくれないと思いました」
 悔しそうに女がつぶやく。
「街の外に連れ出して、待ち伏せしている仲間と一緒に身包み引っ剥がすと考えられても不思議じゃないさ、盗賊達が良く使う手だ」
「違います!」
 女の否定する声が事の他大きく、店内は一瞬静かになった。
「分かった、お詫びといっちゃ何だがとにかく話を聞こうじゃないか」
 女を落ち着かせてから、外に出るよう促す。俺は店員の所に行って注文のキャンセルと、侘びにいくばくかの金貨を渡した。
 店員はなにやら言いたげであったが、私はそれを制した。
 店の外に出ると、女は路地の反対側に立っていた。
「外に出たぞ、話を聞こうじゃないか」
「実は、依頼者は他の所に居るのです」
 店員の忠告が頭をよぎる。
「街の中に居るのか?」
「それが、その方はこういった所に来と目立ってしまいますので、とある場所まで私がお連れする様に依頼されています」
 女からは盗賊特有の匂いが感じられない、とはいえ脅されている可能性も考えられるのだが、俺は話に乗ってみる事にした。
「仮に、何かあったとしても俺を恨むな、それで良ければ依頼主とやらに会おうじゃないか」
「ありがとうございます、二日間待った甲斐がありました」
 何が女をそうさせたのかは分からないが、兎に角それだけ大切な事なのだろう。
「あまり時間がありません、急ぎましょう」
 そう言うと、女は足早に歩き出した。
 やがて、ガードの力が及ぶ境界を抜け、ゲートに近付いてきた。
 青白く鈍い光を放つゲートを眺めながら、女に聞いてみる。
「ここから他の場所に行くのか?」
「いえ、依頼主はこの先の岬で待っているはずです。間に合っていればの話ですが・・・」
「不思議な話だな、素性も良く知らない人間の依頼を受けるとはな」
「お会いになれば納得していただけると思います」
 ゲートを過ぎて海の方に向かう、依頼者はこの先に居るようだ。
 ほどなくして、岬の突端に人影が見えてきた。その姿は我々と変わらぬ様に見えたが、近付くにつれ少しずつ違いがある事に気付く。
「こりゃぁ・・・確かにあんたの言う通りだ」
 依頼者はミーア族の女だった。
「おぉ、やっと依頼を受けてくださる人が見つかったのですね」
 女の方に向かってミーアは両手を広げた、これが何を意味するかは俺には分からないが、なにやら喜びの表現の様だ。
「此処から先の話は、たとえ貴方であっても聞かせられないのです、どうぞお戻り下さい」
 ミーアは何かの包みを女に手渡すと、此処から早急に去るよう促した。
 女の姿が見えなくなるまで、ミーアは一言も喋らなかった。やがて女が完全に視界から消え去ると、ミーアは話し始めた。
「大分時間が過ぎてしまいました、あまり余裕は無いので手早く支度を済ませてもらえますか」
「ちょっと待ってくれ、内容も教えて貰えず、いきなり仕事を請けろは無いだろう」
「失礼しました、内容を全てお話しすると時間が掛かってしまいますので、手始めにやって頂きたい事を言います」
 手始めの依頼内容を聞いて、俺は自分の耳を疑った。
「それだけじゃないのか?」
「依頼の本質は別の所にあります、これは必要な物を獲得する為に避けて通れないだけです」
「随分と簡単に言ってくれるな」
「それだけのお力は有る様に感じますが?」
 他に聞きたい事は山ほどあったが、異なった輝きを放つ瞳に全てを見透かされている様で、何故か無性に腹が立った。
「御無理でしたら、早急に代役を探さねばなりません。やって頂けますか?」
「くそっ! やるさ! やってやるさ!」
 預けた荷物を取りに銀行に向かう途中、俺は激しく後悔した。
 手始めの依頼内容は、バルロンの討伐。悪魔族の中でも特に危険な奴だ、名うての者でも討伐と言うより挑戦と言ったほうが正しいだろう。
 兎に角、受けてしまった以上やるしかない。
 防具は昨日の教練後にきちんと修理してある、あとは武器をどうするか……だ。
 銀行に着くと早速荷物を出してもらい、使えそうな武器を選ぶ。
 愛用のロングソードに、悪魔に効くブロードソード、あとは……これもか。
 俺は、箱の奥の方に有った巨大な剣を引っ張り出した。
 消耗品の確認をして、急いでミーアの元に向かう。
「とりあえず準備は済んだ、俺の気が変わらないうちに出発した方が良いだろう」
「分かりました、では参りましょう」
 ゲートに向かって歩きながら、俺はミーアにさっきの女の事を聞いた。
「彼女はイルシェナーの調査をしているのです」
「そこで接触があったわけだな。だが、何故あいつにも依頼内容を明かさないんだ」
「興味をもたれると後々厄介ですので、そういった事に興味の無い……貴方の様な方にしかお話は出来ません」
「見くびられたものだな。王室に依頼しなかったのは、それが関係しているのか」
「お察しの通り、あそこには探究心の塊のような方が多数いらっしゃいますので、少々不適かと判断しました」
「成る程ねぇ……」
 依頼の概要は、バルロンを倒し、その心臓にまじないを掛けて、とある場所に投げ入れるというものだったが、細かい質問をする間もなく、ゲートに到着してしまった。
「何処に行けば良い?」
「カオスでお願いします。
「畜生! 出た途端に臨戦体制か」
「とりあえずご自分の事だけ考えてください」
 言うが早いか、ミーアはゲートに吸い込まれて行った。
 俺もその後を追ってゲートに飛び込んだ、光に包まれながらカオスの風景をイメージすると、次の瞬間にはカオスに到着していた。
「北に伸びている道を辿って下さい」
「大丈夫だ、分かってる」
 俺達は、周りに居たハーピーやガーゴイルが襲い掛かってくる中を、剣を振り回しながら走り抜けた。
 追いすがって来たガーゴイルを倒したときには、既に両側を岩壁に囲まれた道に達していた。
「いよいよここからだな、悪いが自分の事で手一杯になるだろうから、お前さんはどこかに身を隠していた方がいいな」
「わかりました、私は岩陰にでも隠れていましょう」
 剣を持ち替えて、そろりそろりと歩を進めると、石で作られた回廊の入り口辺りに大きな影が見えた。
「いたぞ! そこの岩陰にでも隠れていてくれ」
「盾は使わないのですか?」
「そっちの方が都合が良いんでね」
 相手の懐で戦うのであれば、盾は非常に有利に働くが、今回は相手の間合いに長時間居るのは得策ではない。
 仮に、間合いを維持して戦った場合、多くの人間は地べたに転がった自分を眺める事になるだろう。
 俺の今回の選択は一撃離脱。素早くポーションを飲む為にも片手は開けておきたい所だ。
 奴に気取られないように素早く走り出した。走りながら白と青のポーションをあおった。
 体中に力が漲り剣を握る手に力が入る。
 あと数歩の所まで来て、改めてその巨体に気圧された。気付かれる前に一撃を見舞いたい。
 思いっきり息を吸い込み、渾身の力で剣を突き立てる。
 怒号のような声が上がり、頭上を何かが掠めた。
 すぐに体勢を立て直し、次の攻撃に移ろうとした刹那、俺の体は炎に包まれ激しい痛みに襲われた。
 バックパックから包帯を引っ張り出し、傷口に沿う様に撫で付ける。包帯は意思を持っているかの様に体に張り付いて行き痛みを和らげた。
 治療に関する熟練度が足りないと、こういった場合、傷口の方向に包帯を合わせられず失敗することが多いのだ。
 次の一撃を見舞うが、その間に重ねて何発か魔法を食らった。離れながら黄色と赤のポーションを飲む。
 ひっきりなしに飛んでくる魔法で、常に包帯を引っ張り出さなければいけない様になった。
 この武器では、戦闘が長引くだけのようだ。そうなるとこちらの方が不利だ。
 ブロードソードを鞘に収め、背中にぶら下げていた鈍色の大剣を引っ張り出し、そのまま突っ込んだ。
 振り回されている腕をぎりぎりで回避し、剣を横様に構え奴の体の横を走り抜けた。
 両腕に鈍い衝撃が伝わり、咆哮とも罵声ともつかぬ音が周囲の岩壁を揺らした。
「いけるか」
 自分に確認するようにつぶやく。
 2度、3度と奴の横を通り抜ける。奴が羽を動かす度に地面の小石が巻き上げられ、目を開けているのさえ嫌になってくる。
 4度目に通り抜けた直後、足がもつれてまごついた瞬間、背中に大きな衝撃が来た。
 俺は吹き飛ばされ、激しく咳き込んだ。包帯を使ってはいるが、間に合いそうも無い。
 意を決して、大剣を地面に置き黄色いポーションを口にする、次の瞬間、魔法が雨あられと俺に降り注ぎ、折角の行動を無にしてしまった。
 後ろを振り向くと、奴が迫ってくるのが見えた。まだ、間合いには届かないが、包帯が効力を発揮した直後位には間合いに入るだろう。
 さっき食らった一撃がでかかったので、手を滑らせてしまったのだ。いつも通りの回復は期待出来ない。
 その後にさっきの奴を食らったら、ひとたまりも無いのは明白だ。何とかするしかない、大剣を手によろよろと間合いを取ろうと試みる。
 次の瞬間、出し抜けに体が軽くなった。そればかりか、痛みの方も薄れている。
 辺りを見回すと、手前の岩の陰にミーアの姿が見えた。手をこちらに向けている、その掌で空気が揺らめいているのが見える。
 ミーアは、魔法で俺を援護してくれたのだ。
「くそ! 使えるならさっさと使ってくれ」
 俺は毒づきながら、再び奴の方に向かう。
 どの位斬りつけたか憶えてないが、兎に角ミーアの魔法の届く範囲から外れない様動き回った。
 そして、気が付くと俺は地べたに座っていた、傍らには奴の骸があり、ミーアがそれに取り付いて何やらやっているのが見えた。
 新手が来る前にここを離れなければ。俺はミーアに声をかけた。
「目的のものは手に入ったか」
「あと少しで処置が終わります」
「早くしてくれよ、新手が来ちまうぞ」
「失敗は許されません、慎重にやります」
 やれやれだ、ミーアが心臓を取り出している間、俺は周りに絶えず目を配った。
「終わりました」
 その声に振り向くと、ミーアの手にはバルロンの心臓があった。
 黒い塊の上に薄く紫青のベールがかかった様な不思議な色だ、まだかすかな脈動を続けている それを慎重に皮袋に仕舞うと、ミーアは硬い表情のまま言った。
「休んでいる暇はありません。ここからモントーを抜けて、慈悲の南にある雪原に向かいます」
「ひでぇ話だ」
「取り出した時の状態を出来る限り維持しなければ意味が無いのです、さ、急ぎましょう」
 ミーアはもう走り出していた。俺は大剣を背中に戻し、愛用のロングソードを握り後を追った。
 殆どの構造物が崩壊したモントーを抜けて、水辺の道を走る。
 途中で襲い掛かってきた奴等には、躊躇無く剣を振るった。
 木々の間を走り抜け、再び両側を岩壁に囲われた道に出た。入り組んだ道を進んで行くと遠くに白い輝きが見えた。
 俺達はそこを目指して走って行った。
 たどり着いた所は一面銀世界だった、地面から突き出している岩も綺麗な雪化粧をしている。
 ミーアはそこに座り込み、先程の皮袋に雪を詰めている。
 作業が済むまでの間、俺は雪上で大の字になった。火照った体に雪の冷たさが心地良い。
 やがて、ミーアがさくさくと雪を踏みしめて俺の傍らにやって来た。
「少しは休憩になりましたか?」
「あぁ、もう少しこうしていたい所だが、時間が無いんだろう?」
「御配慮に感謝します。では、行きましょうか」
 まったく人使いの荒い事だが、依然、硬い表情を崩さない所を見ると、相当切迫しているのだろう。
 俺は起き上がり、再びミーアの後に続いた。
 橋を渡り、ツインオークスの酒場を過ぎ、ミーアの村“レイクシャー”に到着した。
 住人の期待のこもったような視線に当惑しながらも、村でも一際大きな家の前に着くと、そのまま中に通された。
 広い部屋の向こう側に、明らかに他の住人とは違う格好のミーアが居た。どうやら村の古老らしい。
 見かけ(といっても私に判別できるのかは疑問だが)によらず張りのある声で、依頼主であるミーアに話しかける。
「待ちかねたよ、タルシャ。早速まじないを掛けるとしよう」
 そういえば、俺は名前すら聞いていなかったな。急いでいたとはいえ依頼主の名前を知らないと言うのも、いささか間の抜けた話だ。
 一人で苦笑する。程なくして、奥の間に引っ込んだ古老らしき人物が、先程の皮袋と封書のような物をタルシャに手渡した。
 タルシャは、それをうやうやしく受け取ると俺の方に向かって喋りかけてきた。
「申し訳ないのですが、これで終わりではないのです」
「まだ終わりじゃないのか?」
「ええ、もうひとつ厄介事があります」
 思わずため息が出た。俺はこれで開放されると思っていたのだ。
「それで、今度は何をやればいい?」
「ミスタスに赴き、そこでもう一つのまじないを掛けます。」
「なんだって! ジュカ族のところに行くのか! 敵対関係であるのは俺でも知ってるぞ!」
「それでも、事を成さなければなりません。それに……」
「それに?」
「来て頂ければお分かりになりますよ。」
 俺は思わず唸った。満足な情報すら直前にならないと与えないとは、とんだ依頼主だ。
 村の住人に見送られて、西に向かう。途中の森でタルシャは古い石積みで囲われた泉を指差した。
 この森は、各地を放浪しているヒーラー達が休息を得る為に集まる事でも有名だ。
 だが、ヒーラー達の表情からは不安と疲れが見て取れる。泉を覗くと、清浄であるはずの水は、何かに汚されたように薄く濁っていた。
「この泉を元の状態に戻すのが、今回の依頼の本質です」
 タルシャは静かに、しかしきっぱりとした口調で続けた。
「事は、この泉だけでなくイルシェナー全体に渡る水脈に及びます。この泉は、水脈の状態を真っ先に知らせてくれるのです」
「ふむ、その為にそいつが必要なのだな?」
「その通りです、さ、急ぎましょう」
 俺達は再び走り始めた。水際の道を抜け、向かって来るインプやヘッドレスを切り捨てミスタスを目指した。
 幾つかの切り通しを抜けた後、だしぬけに視界が開けた。ミスタス前の広場だ。
 それほど遠くない所に、複数のジュカが見える。俺は、剣を構えた。
 そうしているうちに、奴等が俺達を発見したらしく、街の門からもジュカ兵が出て来た。
「まずいぞ、これは……」
「決して反撃しないで下さい。話がこじれますので……」
「むむぅ」
「彼らの指揮官を見つけます。そうすれば事態は変わります」
 既に、ジュカ達は最初の倍以上の数になっている。ここまで来ると流石に反撃などと言ってられなかった。タルシャの言葉にすがるしかない。
 ある者は武器を振り上げ、ある者は掌に物騒な揺らめきをたてて、じりじりと俺達に迫ってくる。
「居ました!」
 タルシャの言葉にはっとする。その視線の先には、他の奴とは違うごつい体格のジュカが居た。
 そいつに向かってタルシャは、心臓と一緒に受け取った封書のような物を掲げた。見た事の無い印の封蝋が付いている封書だ。
 それを見ると、そいつは片手を大きく上げ横に払う様な仕草をした。
 迫って来ていたジュカは、そこで立ち止まり憎憎しげな表情をしたまま回れ右をして散って行った。
 獲物を目の前にしてお預けを食った奴らの中には、怒りの気持ちを他にぶつける者も居た。
 突然近くの木が燃え上がり、俺は落ちてきた枝に当たりそうになったが、何とかかわす事が出来た。
 俺達に向けた魔法を、木に向かって放ったらしい。危ない連中だ……
 指揮官と思しきジュカは、俺達の所に来るとタルシャから封書を受け取り、しげしげと眺めた後、街の方に向かってあごをしゃくった。
 俺達はそいつの後に付いて街の中に入った。
 街自体は広かったが、使われていない建物も多いらしく、窓の奥にはガランとした空間が見えるだけの建物も少なくは無かった。
 反対側の門が見えて来る頃、そいつは西の方に進路を変えた。門の向こうには満々と水をたたえた湖が見える。
 街の奥、西の端にその建物は有った。その横には見た事もない魔方陣様の文様が描かれた石の広場が有り、指揮官らしいジュカはそこで止まるよう手を挙げた。
 話には聞いているが、実際に見るのは初めてだったので、きょろきょろと辺りを見回しているうちに、先程のジュカともう一人、細身で長身のジュカがやって来た。
「お前がミーアからの使者だな」
 長身の方がタルシャに問う。
「清浄なる水を取り戻す為に、長から派遣されてまいりました、タルシャと申します」
「分かった、準備は済んでいる。タルシャ殿、供物をここへ」
 ジュカは、文様の中心を指し示した。タルシャは指示に従い、村でまじないを掛けられたバルロンの心臓を、そっと置いた。
 今まで気付かなかったが、心臓の色は若干変わっているようだ。正確には下地となっている黒が薄くなっているだけで、他に変わりは無いのだが……
長身のジュカはそこに歩み寄り、心臓の真上に手をかざし、聞いた事の無い言葉をぶつぶつとつぶやき始めた。
「両種族のまじないが掛かって、初めて効力を発揮するのです」
 タルシャは小声で俺に言った。
 いがみ合う種族同士の接触を保つ為なのかどうかは分からないが、水を統べる者は意外と粋な事をする様だ。
 やがて心臓は薄緑の光に包まれ、そして元に戻った。下地の黒が殆ど無くなって、まるで透けているように見える。
「持って行くが良い」
 長身のジュカは、そう言うと踵を返し元居た建物の方に歩いて行った。
 その姿を見送りながら、指揮官らしい奴は言った。
「お前等が我々の勢力圏を出るまで協定は維持されるが、一旦外に出た後、再び戻るような事が有れば我々は容赦はしない」
「承知しております」とタルシャ。
 成る程、王室は絡めたくないと言うのも頷ける。俺達は、この2種族は常に敵対していると思い込んでる。いや、思い込まされているのかも知れない。
「さっさと行け」指揮官らしい奴が言う。
 エスコート無しでジュカ達の中を進んで行くのは、あまり気分の良いものではなかったが、兎に角、奴等は俺達に何もしてこなかった。
 切り通しを過ぎた辺りでタルシャが大きく息をついた。
「とても怖かったです」
「そうは見えなかったが?」
「成す事が大きいですから、それを目の前にして尻込みする事など出来ません。これで二つ目の山は越しました」
「そいつは良かった、で、後は何をすれば良い?」
「村に向かう道の途中に枝分かれしている所があったはずです。そこを辿って水辺に向かいます、急ぎましょう」
 そう言うと、タルシャは再び走り始めた。ミスタスの中で走らなかったのは、種族の尊厳を保つ為か、緊張の為かは分からない。
 俺達は元来た道を逆に辿り、枝分かれしている所を左に曲り、やがて水際の桟橋に着いた。
 周囲にはかなりの水精霊がうろついており、こちらの存在に気付くと、奴等はじわじわと近付いて来た。
 俺は剣を構え、攻撃を仕掛ける為タルシャの前に出ようとしたが、彼女はそれを手で制した。
「このままじゃやられるぞ!」
「大丈夫です、見ていて下さい」
 タルシャは、心臓の入った皮袋の中に手を突っ込むと、雪原の雪が融けて出来た雫を、奴らに向かってパッと散らした。
 次の瞬間、奴らの動きはそのまま止まり、突っ立っているだけの人形の様になってしまった。
「信じられんな」
「効力はあまり長続きしません、早い所済ませてしまいましょう」
 そのままタルシャは桟橋の先端まで行き、袋から出した心臓を両手で高く掲げ、これまた聞いた事の無い言葉をぶつぶつとしゃべり始めた。
 暫くすると、桟橋から西の方の岩山から燐光のような瞬きと共に光が差し、心臓を照らし始めた。
 やがて、光に照らされた心臓は元の色を失い、透明に近くなっていった。
 それと同時に、タルシャは心臓を力一杯、光の来る方向に向けて放り投げた。
 それは綺麗な放物線を描き、光に導かれる様に湖の遠い所に着水したが、その瞬間、確かに湖面が緑色に輝いたと記憶している。
 村に帰る途中に泉を覗き込むと、来る時にあった濁りが消え、以前の様な清冽な泉に戻っていた。
 ヒーラー達は歓声を上げて、水をすくい口に運んでいる。
「知らないということは、幸福なのかも知れんな」
「全てを知ってしまったら、生きているのが嫌になるでしょうね」
 タルシャはそう言って肩をすくめると、ゆっくりと村のほうに向かって歩き出した。
 村に到着して、タルシャが古老に報告をしている間に、俺はミーアからの歓待を受けた。
 見た事も無い様な食い物と酒が、飢えていた俺の腹を満たしていった。
 宴もたけなわとなった頃、タルシャが報告を終えて戻ってきた。
 酒を勧めようとする俺に向かって、タルシャは言った。
「まことに申し訳ないのですが、貴方がここに長い事いらっしゃいますと、詮索好きな人間に気取られる恐れがあります。御無礼かと存じますが、外の方でお話を……」
 タルシャの言う事も、尤もだと思う。素性の分からん人間の戦士がミーアと共に宴なんぞ、どう見ても不自然だ。
 たまたまであれ、調査に来ている人間に発見されたら、俺が質問の嵐に飲み込まれてしまうだろう。
 タルシャは、俺と最初に出会った場所まで付いて来てくれた。
「もうこの辺で良いだろう、ここから先は人が大勢居るから俺一人で帰るよ」
「遅くなりましたが、これは報酬としてお納め下さい」
 タルシャの手渡してくれた袋には、奇妙な形の、しかし美しく輝くクリスタルが入っていた。
「これは、私達とピクシー達とが協力して作り出す特別な物です」
「こいつは凄いな」
「出所などについて聞かれても、他人には絶対に教えない様、お願い出来ますか」
「分かった、約束する」
「ありがとうございます、お名残惜しいのですが私はそろそろ村のほうに帰ります、まだやる事も残っておりますので」
「そうか、ありがとう、こう言っちゃ何だが、なかなか楽しかったぞ。色々なものも見られたしな」
 俺はそう言いながら、この短い間の出来事を反芻していた。
 いきなり目の前にタルシャの顔がかぶさる、と同時に唇をふさがれた。彼女を抱きしめようと動かした手をかろうじて止める。
 本来はこういった事も御法度なのだろう。
 タルシャは俺から離れ、軽く会釈した後ゲートに吸い込まれて行った。
-
 あれから随分と時は経ったが、今でも此処に来ると、あの時の事が鮮明に思い出される。
王室でも知らない秘密、俺とタルシャだけの秘密。
 気が向いた時、俺は此処に来て潮風に吹かれる。そしてタルシャとの思い出をかみ締めて宿のベッドで眠るのだ。

 

The End

 

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