ゆっくりと室内を満たしてゆく淡い薄紫色の光彩(こうさい)。
放たれた光が小さくなるにつれ、ゆっくりと近づいてくる闇。
繰り返される光と闇の律動。
儚いその明滅は夜闇に仲間を求めてさ迷う蛍のように・・・
或いは終わりの間近な弱々しい心臓の鼓動のように・・・
ゆっくりと、ゆっくりと、明滅を、繰り返す。
紫色の明滅の中に浮かび上がるわたしの顔。わたしの机、チェスのボード、白と黒の駒。
高さ20cm程のクリスタルで出来た四角錘は小さな室内を十分に照らし出すほど明るくはないけれど、わたしにはそれで十分。
暗さに目を細めながらわたしはチェスの駒を進めるの。
するとクリスタルは思考するかのように大きく瞬く。
ひときわ大きく輝く紫色に照らし出されたわたしの顔や姿を自分の中で思い浮かべてみる。
そうすると、目の前であなたが見つめているような思いに胸が熱くなる・・・
クリスタルはそれまでとは違った不規則で素早い明滅でわたしに語りかけてくる。
少しぼうっとしていたわたしはクリスタルのメッセージを読み取れなくて。
ごめんなさい、分からなかったわ・・・
もう一回繰り返してもらえるかしら・・・?
再び、同じパターンの不規則な明滅。
わたしはクリスタルの代わりに“彼”のルークを移動させる。
自分のターンが終わると、クリスタルはまた同じようなゆっくりとした明滅に戻る。
わたしの人生・・・
幸せだった子供の頃。
ブリタニア、統合された国、王様、活気に溢れた街。
人間族の秩序によって統治された安全な世界。
いえ、比較的、安全な世界。
誰かが命を懸けて守っている高い城壁に囲われた平和。
そんな事を知る由(よし)もない少女時代のわたし。
オーク、ウィスプ、ガーギッシュ・・・研究者だった父の部屋に積まれた様々な言語学の文献は、その後のわたしの人生の行く先を運命づける。
異種族の文化を知る上で欠かせない言語の習得、解読。
人間に限らず、言語を持つ種族はその言語で思考する。
様々な学問の礎(いしずえ)となる言語学の修得にある種の才能を認められたわたしは物心が付く頃にはライキュームの一室を与えられ、石造りの机の上に山と積まれた文書の翻訳や解読に追われる毎日。
まだ若く、手を抜く事など思い浮かべる事さえなかったあの頃。
昼夜の区別なく研究室にこもったままのわたしの目の前に突然現れたのが、あなた。
無理矢理に連れ出されたムーングロウの街の賑やかなこと!
陽光の中でわたしの手を引いたあなたの横顔。
やり残した仕事の話ばかりしてた、わたし。
本当は嬉しかった。
でも、それをどう表現していいのかわからなくて。
ムーングロウの街の外れ。
そよぐ風に揺られ、かさかさと葉が擦れ合う音さえ不気味に思える墓地のそばの小道を抜けてあなたと歩く。
背中越しにあなたのおかしな質問。
悪魔は恋をするのか?
そうね――
真面目に答えるわたし。
ámo・・・という言葉が愛を意味してるから、あるんじゃないかしら?
それじゃ、“愛する人”というのは?
lem という言葉が彼らの言語で人称代名詞を表すの。
だからámo-lem よ。
ámo-lem・・・
そうよ、 ámo・・・-lem・・・
そよぐ風に揺られ、かさかさと葉が擦れ合う音が聞こえる。
チェスはロード・ブリティッシュ王が彼の世界から持ち込んだものなんだよ
そうなの?
他にも、バックギャモン、マージャン・・・
マージャン?王様が?
他愛のないお喋り。
あなたが話すと特別な事のように聞こえたりして。
次のデートの日取り。
うきうきして、わたしお菓子作りに励んでみたのよ。
あなたが好きな林檎で作ったアップルパイ。
いつもの待ち合わせ場所で待っていてもあなたは来なくて・・・
風の冷たい季節。
あの時、独りでかじったアップルパイの味を思い出せない。
守られた世界。大人になれば嫌でも現実をみるわ。
Betrayer――“裏切り者”――ブラックソンと共に戦わずしてExodusの軍門に下り、体を機械化した者達をわたし達はそう呼んだ。
新しい未知の敵に人間族は成す術もなく、Exodusはその屍で新たなBetrayerを作り出す。
何という悪夢の循環。
大勢の魔法使いの死体の中心にあなたがいた。
変わり果てた姿で。
逃げ惑う人々、遠巻きにあなたを囲む騎士達・・・皆の制止も耳に入らず、あなたに駆け寄るわたし。
死んだ魚のようなあなたの目に微かな生気が宿る。
冷たい機械の腕で、腰から上の生身の体を引き裂いて・・・神経のように無数に張り巡らされたコードを掻き分けると硬くなった黒い血とともに薄紫色に輝くクリスタルを取り出してみせるの。
わたし、それを抱き寄せて・・・あなたを動かしているのは、あの力強く鼓動を打っていた心臓ではなく、このパワークリスタルの電気的な信号だったんだって、思って・・・
人間の心が残ってたんだよね?わたしだって、判ったんだよね?
クリスタルの明滅を1つの言語として解読する。2進法による0と1で綴られる言語。
それは途方もない労力を強いられる作業。
白黒の写真を基にカラーの写真を正しく復元するかのように。
わたし以外、誰もこのクリスタルの明滅を言語だと信じない。
でも、わたしには解るの。
あなたの魂がこのクリスタルに封じ込められ、機械の言葉でわたしに語りかけようとしている事が。
組み込まれたプログラム、人類抹殺の為の様々なストラテジー。
アルゴリズムの解析、パターンの解読。
あなたが教えてくれた・・・人間族はこれを基に機械化人たちと戦う事ができる。
あなたは、それを望んでこのクリスタルをわたしに手渡したんでしょう?
クリスタルは素早い不規則な明滅でわたしに語りかける。
チェスがしたいの?
それも戦闘プログラムの一環なのかしら?
いいわ、Betrayerの行動パターンの解析資料は評議会に提出したから、もうすぐ誰かがあなたを回収に来るでしょう。
それまで一緒にいられるわ。
クリスタルは思考するかのように大きく瞬く。
わたしは駒を動かすと、じっと目を閉じて。
そうすると、目の前にあなたがいるようで・・・
ゆっくりとした明滅はわたしにこう語りかけているの。
「ほら、君の順番だよ」
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