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Elven Blades


1.

 青く透明な海の柔らかな波が足下の浜に打ち寄せている。
 海と大陸との境界になだらかな傾斜を成し、その打ち寄せた波が作り上げた小さな、無数の貝殻で構成された“シェル・ビーチ(Shell beach)をセレドラグ(Celedraug)は歩いていた。
 踏みしめる度に足下の小さな貝殻は柔らかく沈み、貝殻の隙間から溢れだした海水が彼の青みがかった足先を浸す。

 生まれて初めて踏みしめるビーチに足を取られ上手く歩けずによろめくエルフの若い娘に手を差し出すと、彼女は緑がかった細い手を彼の方に向けて笑顔を見せた。
 ほんの少しばかり光合成する娘の皮膚は彼女の魔力を高める働きがあり、そういった皮膚を持つ者はエルフ族の中でも優等な部類と見なされる。
 娘はどこまでも続いて見えるシェル・ビーチの貝殻を両の手ですくってみせた。

「この、足下に広がっている無数の貝殻はエルフの意識の総体。
 そしてこの手の平の中にすくい上げられた貝殻が私という個体の自我を作り上げているとするわ。
 もし、私が死ぬと…」

 娘は両の手の平をぱっと開き、手の中の貝殻を落としてみせた。

「…私という意識、存在は総体の中に還るの。
 1人のエルフの死は、単に1個体が存在しなくなったというだけの事。
 だからエルフは同族の死を悼(いた)まない。
 悲しまない。
 人間族のように家族という単位も恋人という枠組みも存在しないなら、そういった“感情”もエルフ族の心の内に芽生える事はないもの。
 でも、もしそういった感情に私たちがとらわれやすい種族だったとしたら、ハートウッドの巨大樹の上で何世代にも渡って連綿と続いてきた共同体は存続していなかったでしょうね」

 娘の話を聞きながら、セレドラグは樹上人エルフが心の拠りどころである巨大樹を離れ、また、大勢のエルフ達が作り出す意識の総体を離れてこうして2人きりで海辺を歩く姿を奇妙に感じた。
 或いはそれはまだ彼自身、“独立した強い自我を持つエルフ” としての自覚が足りなかったからかも知れない。

「レグラディエル(Laegaladiel)… … …」

 彼は目の前のエルフの娘を美しいと感じた。
 Lorekeeper(エルフ族の知識を後世へ伝える者)でもない1個体が特別に尊重される事のないエルフの社会において、異性に美しさや魅力を感じる事はあまり意味のない事だ。
 子孫を残す為の配偶者はLorekeeperらによって構成される元老院(Curia)によって最も合理的と思われる遺伝子の組み合わせを考慮されて決定される。
 ほとんどのエルフはシンパサイジング(Sympathizing)によって意識の総体に肉体や精神の感覚を統合している。
 そして意識の総体の意思決定権を持つ元老院に長い生涯の管理のほとんどを委(ゆだ)ねるのである。

 かつて彼らの内に存在していた不死性は失われて久しい。
 そして個体が失われると彼らの一部の者は気づいた。

 エルフ族は衰退し、やがて滅亡する種族であると…

 死や喪失の感覚に乏しい、老いたエルフ達 ――そのほとんどは元老院を構成するエルフ達―― はその事実に気づかなかった。
 若しくは、気づこうとしなかった。
 彼らは古くから続く共同体を維持する事にのみ、執着した。
 エルフ族の末路に憂いを感じ、こうした元老院の姿勢に反発したのは、そのほとんどが若いエルフ達であった。
 彼らは自分達よりずっと寿命の短い、また精神も未熟で不安定な人間族がソーサリアのあちらこちらで繁殖している点に着目した。
 自分達エルフ族に姿形は似ているが、あのような脆弱な個体が他種族の淘汰に曝(さら)されながらも力強く繁栄しているのは何故だろう?
 若いエルフ達はそれまで取るに足りないものと歯牙にも掛けなかった彼らの心にその秘密があるのではないだろうかと考えた。
 そうした一部の者達はハートウッドを離れ、人間世界を旅する事で人間族の精神構造を学んだ。
 これら若いエルフ達の動きに元老院側でも変化が起こった。
 下等な人間族と交流するエルフを追放しようという排斥派と、彼らを見守ろうという穏健派とに意見が大きく分かれたのである。
 人間族の持つ多種多様な精神構造は若いエルフ達にとても魅力的に写った。
 様々な喜怒哀楽、一個人を思いやる気持ち、憎む気持ち、そして愛する気持ち…

 セレドラグがレグラディエルを美しい、愛しいと感じる人間的な、複雑な精神構造を獲得するまでには様々な葛藤があった。
 しかしレグラディエルもまた元老院によって決められた固体ではなく、セレドラクという存在を彼女の中で最も大切なものとして感じようと努力した。
 その事がお互いの心を強くしていた。
 人間族のように強い自我を持つエルフ。
 しかしそのような強い精神を獲得したエルフ達は気づいていた。
 自分たちはもうあのハーットウッドの暖かな、母親の胎内のような安らぎに満ちた共同体に戻れない事を。

 … そしてレグラディエルは何者かによって殺されたのだ。
 

2.

 彼女の死は突然にもたらされた。
 レグラディエルの死を思い浮かべる時、いつもあのシェル・ビーチの光景が思い起こされる。
 彼女がすくい上げた手の平の中の貝殻。
 娘は単純なエルフ族の魂と肉体のメタファー(metaphor:隠喩)の他愛も無い話を終えると落とされた貝殻の中に少し大きめの桜色の貝殻を見つけた。
 レグラディエルは屈み込むと大事そうにその貝殻を拾い上げ、手の平の中に包み込む。

「これは、私があなたを想う気持ち。
 シンパサイジングでも他のエルフと共有できない、私の、私だけの心のかけら…」

 人間族と親交を深めるエルフが次々と何者かによって殺されていった。
 誰が?何の為に?
 初めは排斥派のエルフが疑われた。
 そういったエルフのほとんどはシンパサイジングによって精神の隅々まで調べられたがそれらしい者は発見されなかった。
 それではエルフ族以外の者の仕業であろうか?
 人間族にはエルフを殺す事は不可能ではないが困難を極める。
 エルフ族は簡単に殺意を持つ人間を見つけ出し、その脳髄に深くシンパサイズする事で容易(たやす)くその人間の精神を操る事ができるからである。
 或いは自律神経やその他の器官を破壊する事で死に至らしめる事もできる。
 そのような危険を冒してまで一部のエルフを殺す事に何の意味があるだろうか?
 それともそれ以外の種族… 悪魔族、アンデッド、エルフとは相容れない種族は人間族同様数多くいるが、人間族に近しい者達だけ選別して殺す事は考えがたい。
 しかし、セレドラグは殺人者の手掛かりを得たのだ。 
 罠である可能性を除けば…
 セレドラグは今、ブリタニアのダンジョン・シェイム(Shame)の最下層、地底湖のほとりに居る。
 

3.

 ダンジョン・シェイムには地底深くに潜むイビル・メイジ(Evil mage)らの邪法によって生み出されたエレメンタル系のモンスターが其処彼処(そこかしこ)を徘徊している。
 セレドラグはシミター(Scimitar:三日月刀)で的確にエレメンタルのコアを破壊した。
 土、風、火… 様々な物質・非物質に宿った精霊(Elemental)達はセレドラグの剣の前にはあまりにも無力であった。

 生まれてすぐに付けられた名前は銀色の髪の色になぞらえたセレディア(エルフ語:celebは銀色、diaは男性を表す)であった。
 ことさら剣の才能に恵まれたセレディアは青年になってマスター(師範)の資格を得るとその剣の荒々しさからドラグ(draug:狼)を名乗り、セレドラグ(銀髪の狼)と改名したのである。

 ダンジョンの全域にわたって暗闇が支配している。
 セレドラグはエルフ族の特殊能力、エセリアル・アイ(Ethereal eye)によって洞窟の内部の地形を“脳内で直接見ながら”最深部へと向った。
 やがて大きな地底湖に行きあたる。
 エセリアル・アイは湖の底に潜むモノさえも正確に把握する。
 巨大な数匹のシーサーペントが獲物がもっと湖の近くまで近づくよう、じっと息を潜めているのが“見える”。
 湖の中央には人間の手による大きな砦が建てられ、それをあまり頑丈そうには見えない橋が繋いでいた。
 セレドラグが橋の方へ向うと、砦から数十人の人間が飛び出してきた。
 イビル・メイジ達だ。
 彼らはNighit Sighitの呪文によって赤く光らせた目を一斉にセレドラグの方へ向けると、口々に攻撃呪文を詠唱し始めた。

「 R a u v v v r a e ! 」

 セレドラグは無数の虫を召喚すると周囲を旋回させた。
 視界を遮られたイビル・メイジ達の攻撃呪文はセレドラグまで届かず、宙を舞う虫達を焼くのに止(とど)まった。

「 E r e l o n i a ! 」

 セレドラグが再びアーケインの呪文を唱えると、電撃がイビル・メイジ達に降り注いだ。
 サンダーストームの呪文は敵を絶命させるほどの効力は無いものの、術者のキャスト・リカバリ(一度呪文を使用してから次の呪文を詠唱できるまでの待ち時間)の回復を遅らせる事が出来る。
 呪文を詠唱できなくなったメイジ達に狼の如く斬り込む!
 血飛沫が湖まで飛び散り、湖底に潜むモノ達を興奮させる。
 セレドラクはシンパサイジングで5体のメイジ達の脳幹に入り込み、攻撃衝動をループさせるとそれを同族のメイジ達に向けさせた。
 魔法による炎や電撃が飛び交い、叫び声やうめき声が洞窟内にこだまする。
 数体のイビル・メイジが炎を上げて湖に飛び込むと、シーサーペント達は歓喜にのた打ち回り大きな水飛沫を上げながら獲物を奪い合った。
 お互いを攻撃しあうメイジ達を易々と斬り伏せると、残ったメイジ達の精神を支配して湖に飛び込ませた。

「最後のご馳走だ」

 シーサーペント達は目の無い頭部を水面から突き出し、大きく口を開けた。
 微かに水の揺れる音だけを残して再び洞窟内は静まり返る。
 セレドラグはシンパサイジングで周囲を探ると、彼の様子をずっと観察し続けている者を見つけ出した。
  “それ” はメイジ達の砦の反対側に潜んでいる。
 セレドラグが感知した事に相手も気づいた。
 相手は驚くほど完璧に身体情報を隠していた。
 セレドラグのシンパサイジングをもってしても、脈の動き一つ読み取る事が出来ない。
 エルフである事は間違いない。
 しかし並みのエルフではない…
 相手のシンパサイジングがセレドラグの体内に浸透してくる。
 セレドラグはそれをガードすると体性言語(シンパサイジングを利用した言語を用いない直接会話)によって隠れ潜む者に語りかけた。

(お前    貝殻    イメージ    意識の総体    残した    エルフ)

 すると “それ” はこう答えた。

(見事    セレドラグ    我が     弟子)

4.

 セレドラグの目が大きく見開かれる。
 しかし肉体に備え付けられた眼球はただの闇しか写さない。
 それでもセレドラグの目にはありありとそのエルフの姿が浮かんだ。

「まさか… Lorekeeper・ブラスグュウ(Brassgwaew)… 何故、あなたがこのような所に… 」

 ブラスグュウは砦の影から姿を現した。
 それは紛れもなく元老院を構成するLorekeeperの1人、ハートウッドでもThalon(英雄)の1人として数えられるエルフ、ブラスグュウ。
 濃緑のElven Robeに身を包んだ恰幅の良い姿はエルフの中のエルフを思わせる。

(呼んだ   私   ここへ)

 セレドラクは尋ねた。
 彼は意識の総体の中にそれを見つけた。
 レグラディエルが大切に持っていた… 死んだ彼女の手の中に最後まで握られていた、あの桜色の貝殻のイメージを。
 他のエルフならば見過ごしてしまうそのサインをセレドラグは見逃さなかった。
 貝殻のイメージにはこのダンジョンの最深部のイメージが付与されていた。

(ここに   何故)

 しかしセレドラグは見つけた。
 ブラスグュウの中にある、レグラディエルの死のイメージを。

「!」

 十分に近くまで来るとブラスグュウは口を開いた。

「あの娘はディープ・シンパサイズに失敗したのだ」

「ディープ・シンパサイズ… 」

「わたしはあの娘の精神から人間的な情動・情緒を取り除こうとした。 通常よりももっと精神の奥深くまで入り込むディープ・シンパサイズによって。 だが… 」

 ブラスグュウはセレドラグが首に巻きつけたネックレスに括り付けた桜色の貝殻を“見た”。

「…だがその貝殻があの娘の意識を途中で引き戻したのだ。
 ディープ・シンパサイズの最中にあの娘はそれを拒絶し、結果、精神と魂が崩壊した」

(私の、私だけの心のかけら… )

「何故… ? あなたは元老院でも人間族と交流するエルフに関しては穏健派だった… そして、レグラディエルはあなたにとって… 」

 セレドラクはブラスグュウの緑がかった肌を闇の中で思い浮かべた。
 その皮膚は少しばかり光合成をして魔力を高める働きがある…

「穏健派などというものは単に政治的な配慮に過ぎない。
 全てが排斥派であればあからさまに反感をかうであろう。
 我ら元老院に所属する者は全て低俗な人間族とエルフとの交流を疎ましく考えている。

 これは最後通牒だ、セレドラグ。
 我々の考えに帰依し、ディープ・シンパサイズを受け入れたまえ」

5.

 全ては理解の名の下にさらけ出された。
 特定のエルフが死んでいった訳も、シンパサイジングによって殺人者が特定できなかった訳も。

「Lorekeeper・グラスブュウ、全ては、あなたが… !」

「一連の出来事は共同体を守る為の行為の一環に過ぎない。
 元老院側としてもよくよく議論を交わした上で導き出された最も適切と思われるディシジョン・メイキング(decision making:意思決定)であったのだ。
 あの娘 ――レグラディエルは―― 単に遺伝的な繋がりがあったというだけの事。
 父娘などという人間的な比喩で我らを呼称するのはやめる事だな」

 セレドラグはゆっくりとした動作でシミターを構えた。

「それが答えか、セレドラグ。
 もっともお前がこの最下層に降りてきた時にこうなる事は予見していたのだがな。
 我がDeterminate future sight(確定的未来視)によって。
 ここは悪のエセリアルに満ちた空間だが、それはこういった特殊な能力を助長する働きがある。
 殊更に低俗な一部の人間どもがこの様な地底でつまらぬ魔法の研究にいそしむ考えも解らぬではない」

 ブラスグュウは腰に帯びたベルトから愛用の2本のリーフブレード(Leaf blade:尖った葉の形をした短めの剣)を引き抜く。

「1つの腐った果実は取り除くのが他を腐らせぬ為の定めだ、セレドラク」

 ブラスグュウの剣の腕前はよく知っている。
 セレドラグに剣の技を叩き込んだのは彼なのだから。
 エルフ族最強の呼び名を欲しいままにするブラスグュウは数少ない“Determinate future sight(確定的未来視)”の使い手でもある。
 彼は“見て”しまうのだ。剣を構えた相手がどの様にその剣を振り降ろすのか、剣の軌道、速さ、相手の体の捌き方まで… 無数に分岐する未来に対して、ほぼ確定した非常に近い未来を瞬時に見てしまう予知能力を持っているのである。
 そしてブラスグュウは比類なき4刀流の使い手であると言われている。
 しかし噂のみで誰もその技がどの様なものであるのかを知らない。ただ、その噂ではその技を使われた古代龍がものの数秒で長い首を切断されてしまったという話だ。
 それだけでも並みのエルフであれば到底、ブラスグュウに立ち向かおうなどとは考えないであろう。
 
「来い、セレドラグ!」

 ブラスグュウはImmolating Weaponの呪文を唱える。 

「 T h a l s h a r a 」

 リーフブレードが灼熱に輝く!
 最高の剣士が自ら選んだ名前。彼の名は風のような速さで繰り出される灼熱の剣を意味している。
 すなわち、ブラス(brass:白熱)・グュウ(gwaew:風)!

「 H a e l d r i l ! 」

 セレドラグはダメージ減少の呪文を唱えるとブラスグュウに斬り込んだ。
 2体が数度、激しく切り結ぶとパッ! パッ! とエセリアルの眩しい火花が弾け飛んだ。

  チリ チリ チリ… … …

 ブラスグュウのシンパサイジングが絶えずセレドラグの精神を捉え、支配しようとする。
 それをガードするとセレドラグは再び斬り込んだ。

  ギンッ! ギンッ! ギンッ! …ボンッ!

 ハートウッド製の防具が切り裂かれ、傷口が火を噴いた。
 耐え難いほどの痛み。
 体を動かすたびに斬られた箇所から血が噴き出し、焼けた傷口で乾いてゆく。
 かつて師と仰いだ者の剣は確実にセレドラグのシミターを受け流し、彼の体を防具ごと切り裂く。
 数度の斬り込みでセレドラグは全身血まみれになった。
 
 それでも彼は諦めない。 何の為に? 全く勝つ見込みの無い最強の剣の使い手に対して、何故こうも挑み続ける事ができるのか?
  
   グン!

 放たれた渾身の一撃も、一見頼りなげなリーフブレードに弾かれてしまう。
 攻撃する剣の軌道上にすでに防御の剣が待ち構えている嫌な感覚。
 どんなに避けてもどこまでも伸びてセレドラグを切り裂くブレードの灼熱の痛み。

「ハア、ハア、ハア、ハア、ハア、ハア… 」

 まだ自分が生きている事が不思議に感じられた。
 肩で息するセレドラグにブラスグュウはこう言い放つ。

「今、未来が見えた。 お前の死だ、セレドラグ。 血まみれで横たわり、呼吸も心臓の鼓動も止まったお前の死が見えたぞ。 お前はわたしに勝つ事はできない」

 セレドラグは傷口付近の血管を収縮させて血液の流出を抑えた。
 耐え難い痛みの部分は神経を麻痺させる。
 ブラスグュウはそんなセレドラグの肉体の状態をシンパサイジングによって瞬時に読み取った。

「もう終わりにしないか、セレドラグ。
 アドレナリンの分泌を高めてもあと少しでお前の肉体は活動限界に達する。
 そんなにしてまでほんの少し生き長らえる事に何の意味があるというのだ?」

 シェル・ビーチ…
 血が流れすぎたのだろうか… ?
 こんな時にシェル・ビーチの光景が脳裏をかすめる。 私の精神はこの目の前の現実から逃避したがっているのだろうか? それはとても人間的な感覚のように思える。

 セレドラグは口元を歪めて笑う。
 レグラディエルのシンパサイジング… 音階の違うハープ(Harp:竪琴)の音色が優しく耳の中で音楽を織り成すような、そんな彼女の心の響き…

 シェル・ビーチ…
 こんな時に、レグラディエル、君の……Shell beach ―― 

 意識下の奥底に微かに響いた、たった1つの可能性。

  ガッ!ガッ!   ガキン!  ガシュッ!

 ブラスグュウの猛攻。
 リーフブレードが皮膚を切り裂き、炎による追加ダメージが傷口を焼く。
 ブラスグュウのシンパサイジングが次第に深く、セレドラクの内に入り込んでくる。 冷たく彼の限界を、肉体に広がりつつある死の量を計っている。

 考えてはいけない。
 考えが思考レベルにまで明確になれば、ブラスグュウに読まれてしまう。

      Shell beach

 意識が、かすむ

「終わりだ、セレドラグ!」

 ブラスグュウはもはや朦朧としたセレドラグの攻撃を易々と受け流すと、くず折れ、倒れ込む彼の首にザクリとリーフ・ブレードを突き立てた。
 止めを刺した瞬間。
 ブラスグュウのシンパサイジングがセレドラグの脳幹に入り込む。 
 深く、深く… 彼の死を確かめる為に…

 その刹那!
 
  セレドラグは全てのイメージを送り込んだ。

 イメージは渦巻き、逆巻き、ブラスグュウになだれ込む。
 白い砂地の見える透明な海、目眩のするほど広大な青い空、無数の貝殻の堆積、シェル・ビーチの白さ、緑色の指先、レグラディエルの微笑み、桜色の貝殻に込められた想い、そして    …死。

 耐え難いほどの心の痛み、喪失、絶望、怒り、憎しみ、悲しみ、苦痛、煩悶、懊悩。 人間的な精神でなければ… エルフの純粋無垢な精神では耐えられないほどの複雑で雑多な精神の波動。

 そういった精神の働きに全く耐性の無いブラスグュウは苦しそうなうめき声を上げると、急激にシンパサイジングの触手を引っ込めた。

「ぐぅぅぅっ、セ  レ  ド  ラ  グ、 貴 様ぁ… !」

 一瞬、ほんの一瞬でいい… ブラスグュウの動きが止められれば… !

「う ぉおおおおおおおおっ!」

  ド  ク  ン  !

 全ての力を振り絞り、己の心臓を押し潰すかのように鼓動させる。
 血液がまだ繋がっている血管を通して全身を駆け巡り、死にかけた細胞に最後の息吹を吹き込む!
 倒れかけた体を反転させると両腕を上げたまま硬直したブラスグュウにシミターを振り上げる。

  ザシュッ!

 ブラスグュウは反射的に上体を後ろに反らしたが剣を握る両腕の肘から上を断ち切られた。
 セレドラグは勢いのままもうひと回転すると、再び渾身の力を振り絞って斬りつける。
 彼のシミターはかわされたが、お互いの足が縺(もつ)れ地底湖のほとりの砂地に倒れ込む。
 セレドラグはブラスグュウの上に跨り、緑色の首筋に剣をあてがった。

「O l o r i s s t r a !」

 回復呪文がセレドラグの最も深刻なダメージを受けている部分から徐々に効いてゆく。

「あなたの未来視は外れた。 私の勝ちのようです、ブラスグュウ!」

 ブラスグュウは手首の断面を止血させると痛みを感じる神経を麻痺させた。

「まだだ。 首を斬れ、セレドラグ。 わたしに止めを刺さぬうちはまだお前の勝利ではない」

  グ   グ  グ ググッ…

 シミターを持つ手に力を込める。

 だが、セレドラグは止めを刺す事ができなかったのである。

6.

「私には、あなたを殺す事はできない… Lorekeeperブラスグュウ、我が師よ… 」

 セレドラグはゆっくりと立ち上がると次第に回復しつつある体の痛みを堪えながら数歩歩いた。

「あなたはエルフの世界にとって必要な存在です。
 たとえ元老院がどの様な考えを持っているにせよ… あなたを剣の師として慕っている者も数多くいる。
 私には・・・ 殺せない。
 私が去りましょう、ハートウッドを。 もう2度と戻るつもりはありません」

 これが答えだ、レグラディエル、私の、私たちの…

 セレドラクはエセリアル・アイを通して背を向けた砂地に倒れていたブラスグュウが立ち上がるのを “見た” 。
 彼は呪文を詠唱すると2体の小悪魔を呼び出し、落ちている自分の両腕を拾わせた。

「エルフ族の精神は… 無駄が無いが故に強い。
 人間族の雑念を学んでしまったお前は弱くなった、セレドラグ。 精神的にも、肉体的にも」

 セレドラグはよろめきながらも歩みを止めない。
 エセリアル・アイを通して脳内に数体の生物が近づいてくるのが感じられる。 イビル・メイジの残党が仲間を集めてやってきたのだろうか。
 セレドラグは先制攻撃を仕掛けるべく最も近い所に来ている生物の脳幹を探り、そこへ自らを浸透させた。
 その瞬間… セレドラグは死んだ。
 心臓が破裂し、全身から血を噴出して息絶えたのだ。
 血まみれの肉塊がダンジョンの岩場にズシャリと音をたてて倒れ込む。

 しかし彼にはまだGift of Renewalの呪文の効力が続いていた。
 破裂した心臓が繋ぎあわされ再び鼓動を始めるまでに回復すると、彼はタリスマン(Talisman:エルフ族の護符)を発動させた。
 タリスマンにはフェイ(小妖精)召喚の呪文が仕込んである。 召喚された小妖精はセレドラグに回復の呪文を詠唱し続けた。

 何が起こったのだ?

 セレドラグは小妖精の脳幹に侵入すると、その狭い視界を通して周囲を見回した。
 眼球が飛び出した、到底生きているとは思われない血まみれの自分の体が見えた。
 その向こうにブラッドエレメンタルを引き連れたイビル・メイジらの姿が見える。
 セレドラグは大きな過ちを犯した。 彼はブラッドエレメンタルにシンパサイジングしてしまったのだ。 全く体の組成の違うものにシンパサイズしてしまうと相手が強力な生物であった場合身体情報がフィードバックしてしまう事がある。
 セレドラグはそれをやってしまったのだ。

 何ということだ

 ブラスグュウを見ると両腕を上に向けて手首から先を魔法で繋げている最中であった。 とても戦える状態ではない。

(逃げる    ブラスグュウ   強力   エレメンタル)

 しかしブラスグュウは微動だにしない。

  ゴバッ!

 回復が進んだセレドラグの肉体が軌道に詰まった血の塊りを吐き出す。
 それに気づいたイビル・メイジ達はエレメンタルに攻撃を命じた。 小妖精の小さな狭い視界ではブラッドエレメンタルはまるでそそり立つ山のように見える。
 セレドラグは観念した。
 全てを。 だが…?
 巨大なゲル状の血の塊りが周囲に降り注ぎ、硬い岩場にあたって砕け散る。 ブラッドエレメンタルはバラバラに分断され、顕(あら)わになったコアを破壊される。

 ――何かが、飛来している――

 “それ”はエレメンタルを破壊し、イビル・メイジ達を切り裂いた。
 彼らは成す術も無く、無残な肉塊に変貌してゆく。
 エセリアル・アイが使えるまでに回復するとセレドラグは “見た” 。
 その飛来するものを。
 “それ”は大きく突き出した二枚の刃(Blade)を高速に回転させ、獲物の間を飛び回っていた。

  バシュン!

 もう1つ、ブラスグュウから“それ”は放たれた。 光る古代ルーン文字を刻まれた回転体。 これが、ブラスグュウの4番目のブレード…

「切り刻め、ブレード・ダンサー(Blade Dancer)!」

  ヴァァァァァァァァン!

 回転体は真っ赤なブレードを突出させると全ての生命体が存在しなくなるまで暗い闇の中を踊り続けた。
 そしてセレドラグは気づいてしまったのだ。
 
 ブラスグュウは殺そうと思えばいつでも自分を殺す事ができたのだ。 この血を好むブレード達を使って…

(ブラスグュウ   使わない   4刀のブレード   望まない    死を    私の)

 ブラスグュウはまだ神経の繋がっていない腕の先を小悪魔達に押さえつけさせながら、1歩1歩近づいてきた。

「お前にならこのブレードを使えるものと信じていた。
 この古代エルフの作り上げたブレード達、エルヴン・ブレイズ(Elven Blades)は使用者を選ぶ。 お前ならこの強力なアーティファクト(魔道器)を使いこなせると思っていたのだが」

 全ての敵が死滅し、攻撃対象のいなくなった広大な洞窟の中を2枚の赤いブレードが飛んでいく。

「セレドラグ、お前が受け継がないのであれば最早必要の無い物だ…」

 ブレードは闇の中に見えなくなった。

「お前に人間の心を一時的にも打ち込まれて気づかされた。 わたしにもお前を特別に思う人間的な部分があったのだと。 だが、そのような精神はわたしには必要ない」

 まだ動けずにいるセレドラグに背を向ける。

「さらばだ、セレドラグ。 お前のその死んだ姿のイメージを元老院に報告しよう。 お前はここ、ダンジョン・シェイムの地底で死んだ。 わたしの内に少しばかり芽生えていた人間的な心の萌芽と共にな… 」

 ブラスグュウが去るとセレドラグは泣いた。 暗い地の底の洞窟で1人、涙を流した。

 * 彼 は 私 に 殺 さ れ た か っ た の だ * 

 本当はディープ・シンパサイズを拒むエルフの死を望んではいないのだ。
 自らの隠れた意思とは裏腹に、ブラスグュウはこれからも共同体を守る為に己を偽って生きていくのであろう。
 Lorekeeperに成るほどのエルフでさえ、その “個” の存在は尊重されている訳ではない。

 ブラスグュウの血濡れた運命を想い自然と溢れた、レグラディエルの死でさえも流れ出なかった涙…そう、セレドラグは心が生み出す涙というものの存在を初めて知ったのだ。

epilogue

 セレドラグの物語はここで終わる。 本来であれば。
 だが彼の残りの生涯は他のある物語に非常に重要であるのでここに付記する。

 人間的な精神を手に入れたとはいえ、意識の総体を離れたエルフが感じる孤独は並大抵のものではない。
 心の拠り所を求めたセレドラグはブリテインで八徳を学び、その後各地を放浪した。
 彼は後に徳乃諸島・禅都と呼ばれる都のある島国にたどり着く。 その国の人々の精神は独特だが彼の気質にあっていた。
 島の人々も初めは彼の事を敬遠していたが何よりも剣の腕が立ち、時折小妖精を呼び出しては子供達を楽しませるこの異国人を次第に受け入れていった。
 彼は剣術道場を開くと八徳を表す木彫りの像をつくり、道場のご神体としてその小像を祀った。
 道場に出入りする人々はそれを八つの神様と呼び、後に彼の剣術は八神流と呼ばれ、その子孫らは八神姓を名乗った。

 セレドラグは2人目の伴侶の最期を看取ってなお、生き長らえた。
 彼の一族が門下生らと共に数多く集まったある日、彼は体調の不調を理由に中座した。
 自室に籠もると自身の半生を振り返ってみる。
 人間的な精神を獲得した事は果たして正しかったのであろうか?
 今ではすっかり記憶の彼方に霞んでしまった、あのシェル。ビーチの光景。 人間的な精神の黎明と共にあったあのエルフの娘… そう、レグラディエルはあの時のまま、全く年をとらずに今でもあの笑顔で微笑みかける。

 やあ、レグラディエル…

 人間族の生命力は強い。 彼は自分に似た姿の子供達が生まれないのを見てそう思った。
 だがいずれ、彼の血を色濃く受け継ぐ子孫が現れるかもしれない。
 その子は自分の血のルーツを探そうとするであろうか?

 やがてセレドラグは深い眠りに就く。
 深い、深い眠りに。
 いつの日にか自分の血を分けた子供が、今ではあの懐かしい故郷・ハートウッドに還る日を夢見ながら。


END

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