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Bloodly Red



 世界には多くの人がいて出会いと別れがあり、その中に一つとしていらないものはなく、それぞれが理由を持って存在する。
 この出会いは運命なのか? それとも神様のいたずらなのか。
 そう考えたことはないだろうか。

 今宵も一人の女性が出会いの意味を求め、ラディのところへやってくる。


 マラスの星屑が浮かぶ海を前にラディは一人立っていた。
 星屑がパラディンとネクロマンサーの大戦で死んでいった者達の魂ということを、いつの時代からかただの伝説と噂されるようになったが、あの時代を知っているラディにとっては簡単に来れる場所ではなく、また離れることもたやすくない場所であった。
 今日のラディはいつもと様子が違った。
 いつもなら遅くまで寝てぼーっとした頭を熱いスープを喉に流し込んで無理やり起こし、その日のお客を迎え入れる準備をするのだ。
 お客の話をすでに全て知っているのに知らないような表情で聞き、ほんのちょっと心を後押しするのがハートコレクターラディとしての仕事。
 しかし今日のラディはいつもよりも早く起きて、まずは棚いっぱいに並んだ瓶を一つ一つ手に取り、ラベルに書いてある内容を読んではまた棚に戻す作業をした。
 その後昼過ぎには珍しく男の格好のまま散歩にでかけ、夕暮れになった今でもまだ星屑の海を眺めているのだ。
 ラディに何があったんだろうか。
 空にも星が瞬き始める頃、ようやくラディは星屑に別れを告げ秘密の土地にある家に向かった。

 家に近づくにつれ、玄関に誰かがいることに気づいた。
 玄関前の階段に腰掛け、横の花壇の花を眺めているその人は、ストローハットに隠れた顔がよく見えなかったが、肩にかかる黒髪の三つ編みとスカート姿の線の細さから女性だとわかった。
「すいません、ずいぶんお待たせしてしまったようですね」
 歩きながらラディはその女性に声をかけた。
 その声で顔をあげた女性はラディを見つけると少し緊張した顔に変わりながらその場で立ち、一礼をした。
「こんばんは、あなたがラディ先生ですか?」
「あなたが先生と呼ぶのは、きっと本来の私ではない部分を指すのでしょう」
 理解できないという顔をしている彼女ににっこりと微笑み、家の中に入るようにドアを開けた。
 ラディがお客と会うときには必ず女性の姿でいた。
 人の悩みを聞く者として女性という仮の姿で出ることは、相手との間に一線を引き自分を守るために必要だと思っている。
 しかし今日のラディは本来の男の姿のまま。
 今日のラディは様子がおかしい。

 女性はラディの家に入り、ここに初めて訪れた者がまず最初にするのと同じように、壁一面に並んだ様々な色の瓶に驚いていた。
 近づいてよく見ようとした彼女を椅子に座らせ、ラディはお茶を入れにダイニングに向かった。
 いつものようにテーブルの上にはオイルランプにかけたフラスコが置いてある。
「さて、じゃあ名前から伺いましょうか」
 色の違う二つのカップを手にテーブルに戻ったラディは薄水色の爽やかな香りのするほうを女性の前に置いた。
「はい、私はナティスと言います。先生のことは街で噂されているのを聞いて」
「ああ、いいですよ。私のことを先生と呼ぶのはやめてください。ラディと呼んでください」
 そこで会話が終わってしまい、二人はカップを手の中で遊びながら視線が合わないよう別々の場所を見ていた。
 本来の姿でお客の前に出ることがないラディは少しやりづらさを感じているようだった。
 ナティスが意を決したようにラディの顔を見つめ、ラディがそれに気づいて見つめ返した。
「せんせ、あ、ラディさん」
 一呼吸おいてナティスが言った。
「私、恋をしているんです」
 ラディから向けられた視線を受け止めることができずにうつむき、普通であればうれしそうに言ってもいい言葉なのに、彼女のその言葉にはまるで悪いことをしているかのような雰囲気があった。
「知ってますよ。ここはそんな人たちが集まる場所です」
 彼女が少し微笑んで、そして言葉が止まった。
 簡単には言えないそんな雰囲気があった。
 話を聴いてほしいけどためらいもある、そんな様子のナティスを少し見たあと、ラディは言った。
「大丈夫です、わかってるんです。ただ、あなたの口からあなたの言葉で聴きたいんです。だから、話してくれますか?」
 ナティスは少しカップを見ていたが、すぐに顔をあげ真っ直ぐにラディの目をじっと見た。

 ◆

 この世界には三種類の人がいることを感じているかしら?
 争いを嫌い、平和を望む者。
 平和を望み、平和のために戦う者。
 平和より、欲望のために争いを好む者。

 今まではそう思っていた。
 でも本当の世界は違うの。

 平和を他人に任せ、堕落してる者。
 正義を理由に、何をしてもいいと思っている者。
 自由を勝ち取るため、自分の力を信じる者。

 誰が一番素敵だと思う?
 誰が一番きれいだと思う?
 私にはもう以前まで見えていたものが、薄汚れて見えるようになってしまったの。
 私は生きている実感がほしい。
 私は自分の力で生きていると味わいたい。

 例え全てを捨てることになっても、新しい世界を教えてくれたあの人についていきたい。

 ◆

「で、その人はどんな人なんですか?」
 ナティスの目を見ながらラディは淡々と聞いた。
「彼は」
 ナティスの言葉に一瞬のためらいがあった。
「殺人者の烙印を押されてる人です。でも、不必要な殺人はしてないって、正義を理由になりふり構わない奴らを懲らしめるためなんだって、そう言ってた」
 ナティスの最後の言葉はラディにようやく聞こえるというくらいに消え入りそうな声だった。
「そうですか。じゃ、自由を得るためには人を殺す必要もあるってこと以外に何を教えてくれたんですか?」
「船で孤島を探しに行って二人だけの島を見つけたり、デシートに探検に行って二人でスケルトンに追いかけられて笑いながら逃げたり、襲われたとき自分の身を守る術やいろんな楽しみを教えてくれた。幸せな時間を与えてくれた」
 淡々と質問をするラディの目はじっと見据えるようにナティスを見ていた。
「あなたは彼が人を殺すところを見たことはありますか? 彼がどのように殺す相手を見つけて、どのように殺していくのか、見たことはありますか?」

 バンッ

「ラディさんもやっぱりみんなと同じなのね。彼が殺人者だって知った途端そういう目でしか見れなくなっている。彼の良いところを全然見ようとしてないっ」
 ラディが言い終わるかどうかというところで、ナティスは急にテーブルを叩いて立ち上がり一気にまくし立てた。
「人殺しなのはわかってる。でも私にはいろんなことを教えてくれる人なの。私に新しい世界を見せてくれた人なの」
 ラディはそこまでナティスの話を聞くと、ダイニングに二杯目のお茶を取りに行きそのついでに棚から薄水色の液体が入った瓶を取ってテーブルに戻った。
「彼はあなたに新しい世界を見せたわけじゃありません。視点を変えた違う見え方を教えただけですよ。世界は一つです。それをどの立場から見るのかはあなたの自由ですが、彼が見せた世界もあなたが今まで住んでいた世界だということに気づいてください」
 ラディは二人のカップに新しいお茶を入れ、ナティスのカップにだけ瓶を開けてそこから薄水色の液体を数滴を入れた。
「世界は角度によっていろんな色に見える。同じものを見ていても、オレンジに見える人もいれば青く見える人もいる。不思議だけど本当のことなんです。そのことを十分納得して何色に見えると言うのか、それを決めるのはあなた自身です」
 ナティスにカップを渡し、自分のお茶を一口飲みカップの中を見ながらラディは話を続けた。
「答えが一つしかないと思って生きるのと、答えはいくつもあってその中から自分が選んだ答えを信じて生きるのでは、生きる重さが違うんですよ」
 ラディの心に浮かんでいるのはナティスのことでも殺人者の彼のことでもなく、もっと昔のマラスであった大戦のこと。
 自分の教えられた道が世界唯一の正義だとずっと信じて生き、多くの人の命を奪ったあの時。
 戦って相手を殺し、自分たちの正義を見せつけることが全てだと教えられていたラディは、自分を正義だと思い込んでいた。
 決してそうではないと知ったときの絶望、頼るものがなくなったときの孤独感、それがこの道へ進む決心をするきっかけでもあった。
 自分自身で道を切り開かなければならないと口でたやすく言えても、それを実行している人はどのくらいいるだろう。
 ラディは悩める人たちの心をほんの少し押してあげられるこの仕事を大切にしてきた。
 だからこそ、ナティスの心を押してあげていいのか迷い、朝起きてからというものずっと考えていた。
 まだ大人になりきれていない娘が、殺人者の烙印を押された者と一緒にいていいはずがない。
 ナティスの話を聞けば聞くほど“恋は盲目”そのものなのがわかってもラディは迷っていた。
 きっと周りの人間全てに反対されて、最後の頼みと思ってここに来たのであろう。
 誰でも来れる場所ではない、本当に悩める者だけが最後にたどり着くことができる場所なのだ。
 ここでラディしかできない後押しとはなんであろう。

 ナティスは立ち上がった後、座るタイミングを逃してずっと立ったままラディを睨んでいた。
 その目は少し赤く潤んできていたが、ギリギリのところで堪えているようであった。
 そんな姿のナティスを見て、ため息をつきながらラディは言った。
「あなたには覚悟がありますか?」
 ナティスはまだラディを睨んでいた。
「周りの目は優しくありません。あなたは烙印を押されていないとしても、一緒のものとして見る。その視線に耐えられますか? そもそも彼の想いは聞いたことがあるのですか? 彼はあなたのことをただの暇つぶしと思っているかもしれませんよ」
 ナティスの目からたくさんのものがあふれ、テーブルの上のフラスコに数滴落ちていったが、それでもかまわずラディを睨み続けた。
「きついことを言うと思うかもしれませんが、あなたの想いは報われない可能性のほうが高いのです。それでも続けていきたい恋ですか?」
 もう涙がこぼれるというよりも流し続けているナティスがいた。
 気が狂いそうになるほど悩み、寝れない夜をいくつも越え、それでも諦めきれない想いは彼女に何を残すのだろう。
 多くの者たちがそうしてきたように、彼女の幸せを思う言葉でラディも彼女を傷つけていくのだろうか。

 泣きながらいつまでもラディを睨み続けるナティスをラディもまた睨み返す時間が過ぎていった。
 ラディはまたため息をつきながら立ち上がり、自室からダガーと小瓶を持ち出してきた。
「もう少し、結論を出すのはあとにしませんか?」
 オイルランプに火を灯しラディはお座りなさいとナティスに言い、素直に座るナティスを微笑ましく感じた。
「彼に対する気持ちはわかりましたし、否定するつもりはありません。ただ、これからは別の視点で見ることを心がけてみてもらえませんか?」
 ナティスにオイルランプの火を見つめるように言い、ラディはさらに話続けた。
「彼があなたに見せているのはほんの一部。例えその一面が素敵に見えても別の面は違うかもしれない。これは殺人者である前に一人の人間として当たり前のことですよね? 人にはいろんな側面がある」
 ナティスに薄水色のお茶を勧め、このお茶は心を穏やかにする効果があると話した。
「彼のいろんなところを探してみましょう。人を殺すのは上手くても、狩りは下手かもしれない。意外と不器用かもしれないし、ガーデニングが好きだったりするかもしれない」
 ナティスは少し落ち着いたようで、ラディの話を聴いてクスクス笑う余裕まで出てきた。
「もっと悪い側面もあるかもしれない。女好きかもしれないし、あなたのことをそれほど想ってないかもしれない。今は確証がないから周りも彼をイメージでしか話せないし、あなたも信じたくないでしょう? だからあなたが彼のことをたくさん知って他の人に話せるようになればいいんです。そのためには時間が必要だ」
 ラディがフラスコに目を移した。
 フラスコの中の液体はゆっくりとまわりながら濃い桃色から濃い赤の間を繰り返し表していた。
「これはあなたの心を表す液体。恋をすると本当はもっと淡い色をしているんだ。きっと辛さを自分でも感じ取ってるんだね」
 ラディはダガーを手に持った。
「あなたがその辛さに負けないように、恋に振り回されずに真実を見抜けるように」
 不思議そうな顔をするナティスの右手を取り、フラスコの上まで持ってきた。
「ブラッドオース、血の誓いです。自分自身の命をかけて真実を見つけると誓えますか?」
 ナティスはラディの顔とダガーを交互に見ながらこれから起こることを頭に思い描いた。
「ラディさんは、ネクロマンサーだったのですか? 私はアルケミストかヒーラーかと」
「まぁね、このブラッドオースは少しアレンジしたんです。私もいろんな職業をしてきましたからね。ヒーラーもアルケミストの仕事もしたことがあります。あとはまぁいろいろと」
 ラディは少し恥ずかしそうに自分の今までしてきた職業の話をし、その全てがあるからこそ、今いろんな人の心と対話ができるようになったことを改めてかみ締めた。
「さあ、ナティスさんどうしますか? このまま誓わないこともできます。私としてはできればそちらのほうがいいと思います。一時の恋であるかもしれないのですから」
 ラディがナティスの手を離そうとしたときに、ナティスのほうからラディの手を掴んだ。
「いいえ、やってください。誓うわ、自分の血に懸けて」
 ラディは何も言わずに、ナティスの人差し指をダガーで少し切った。少しずつ出て膨らんだ血がぽたっとフラスコの中に落ちていった。
 フラスコの中は一見変化はなさそうだったが、やがてゆっくりと透明の液体に戻っていった。
 ラディは持ってきていた小瓶に少量を移し変え、ナティスに渡した。
「この液体がまた血のように赤くなるとき、それはあなたが嘘に惑わされたときです。私のほうに残したこの液体も同じように赤くなる。そのときは、私からあなたのところへ赴きましょう。慰めの一つでも言ってあげますよ」
 一人で思いつめるよりもここにもう一人ナティスの思いを理解している人がいる。それがあるだけでナティスの心はここに来たときよりもずいぶん軽くなり、かわいい顔で微笑むようになった。
「さあ、ずいぶん長居させてしまったね。それを持ってお戻りなさい」
 ラディが言い終わるのと同時に微笑んだ顔のままナティスはふわっと姿を消した。もちろん、小瓶も一緒に。

 ラディは晴れない表情でオイルランプの火を消し、フラスコを何度か振ってみた。
 透明の液体は揺られながらねっとりとした動きをしてフラスコの中で回っていた。
「ブラッドオースか。あれはきつかったなぁ」
 ラディは少し笑いながら液体を瓶に移しこみ、少し匂いを嗅いだ。それは血の生臭い香りがかすかにする、確かに彼女の血が溶け込んだ液体だった。
 ラディはラベルに“赤い血の香り”と書き、棚に並べた。
 
 話をしに来るのは主に悩んでいる人の心。心を液体に写し、悩みからの解放を求める心にほんの少しの勇気をあげるのが仕事。
 人は彼をハートコレクターと呼ぶ。
 いろんな職業を経験しているがネクロマンサーだったことはないと付け加えておこう。

 

The End

 

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