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どっちにするの?



 陽射しのぬくもりを楽しんでいた午後の事。
「――の件は以上。それとフィズ、あとで補充をしておきなさいよ」
 ギルド長の口から不意に出た俺の名前は、惰眠の終わりを告げる鐘のように聞こえた。
 まどろみと現実の境にある門扉のような重いまぶたを押し上げつつ、その言葉を反芻する。
 補充、補充、補充。――いったい何の事だ?
「ちょっとあんた、ギルドの会議中に寝てんじゃないわよっ!」
 唐突に響き渡るギルド長の怒声。その部屋にいた人間たちの肩が、一斉にビクッと震える。
 眠くなるような議題だったんだから仕方がない。何処其処の店のプレートメイルが安いだとか、ハルバードには夢がいっぱい詰まっているだとか、アルケミストの自分にとってはどうでもいい事なのだから。
 居心地を悪くしていると、隣に座っていた友人のリッキーが肘でつついてきた。
(あれだよ、あれ)
 リッキーは親指を立てると、それを部屋の隅にちょいちょいと向ける。
 そこには、俺が一週間前に置いたばかりのポーション樽が積まれているのだが、補充しろって事はもう飲み尽くしてしまったのか。
 人が善意で置いたポーションを、馬が水を飲むような速度で消費したあげく、「ありがとうね」だの「おいしかったわ」の一言も無しでまた補充しておけって、あの女はアルケミストをバーテンか何かと勘違いしてないか?
「すいません。早めにやっておきます」
 ――言えるわけが無い。
 憧れている女性の胸倉を掴んで、「おいおい、俺はバーテンか?」などと言える奴がいたら、ここに来て俺の代わりにやって欲しい。
 俺はひとまず小さく頭を下げて謝った。そうしておかないとギルド長……つまり、ミストレス「ロゼ」の機嫌が収まりそうになかったからだ。
 あからさまな彼女の溜息が聞こえてくる。
 きっと、つまらないものでも見るかのような眼差しを俺に向けてきている事だろう。いいさ、もっと叱ってくれ。そしてなじってくれ。いっその事、踏み付けて欲しいくらいだ。
「まぁいいわ、次。新体制発足に際しての『騎士道と死霊術の導入』についてだけど、ここからはライムが説明してくれるから、寝ないでよく聞きなさい」
 俺の左側に、一つ席を空けて座っていた女が立ち上がる。
 彼女は分厚いレンズが嵌め込まれた眼鏡を、中指でくいっと持ち上げてから話し始めた。
 ふと、ロゼ嬢の方を見やると、視線に気付いたのか俺に一瞥くれる。ちゃんと聞いているからそんなに睨まないでくれ。

 ――我がギルド“ジュニパーベリー”は、つい最近までトップの人間がマスターだった。つまり、粉雪を散りばめたような白銀のチェインメイルが似合う美しきロゼ嬢ではなく、少し前までは別の男だったのだ。……っと、美しきは少し褒め過ぎなので撤回しておこう。
 そして、何故トップが入れ替わってしまったのか? これはあとから内部事情に詳しいリッキーに教えてもらったのだが、所属している人間たちの不満が募っていたようなので、公平にギルドマスター選出の投票を試みたところ、ロゼ嬢が選ばれてしまったという事らしい。
 人気という観点から見ても、妥当な人選だろう。たまにしかここに足を運ばない俺にとっては、誰がマスターでもいいのだが。
 ついでに言うと、彼らの不満というのが実に下らない。
 今、眼鏡娘のライムが説明している『騎士道と死霊術の導入』に関係があるのだが、前のマスターの時は、我々はこの二つを学ぶ事が許されていなかった。

『奇跡に頼らぬ戦いにこそ、勇ましさの真髄あり』

 ひと昔前ならば、前任の彼が常日頃から口にしていたこの言葉に惚れ込む輩も多かったのだが、何せ時代が時代だ。皆、便利なもの、楽なものを取り入れたくなったんだろう。そして何より、全身包帯だらけでマミーのような姿になるのが耐えられなかった奴もいたに違いない。
 人間的な側面、素晴らしき御都合主義だ。そうは思わないか?
 そんな経緯があったので、幹部が入れ替わったついでに新風を取り込んでみようという事になったのだが、これにはある条件がついていた。
 それが、騎士道と死霊術の二つの内、“どちらか一つだけ”というものである。

「死霊術で必要な巻物があれば書きますので、申し付けて下さい。私からは以上です」
 二つの技能についての一通りの説明を終えたライムが、ふぅと息をついて座る。
(お疲れ、さすがだな)
 ねぎらいの気持ちを込めてそう囁いてやると、照れたように少し俯いてしまった。
 ――誰が始めにそう言ったのかは知らないが、彼女は『スキルマスター』と呼ばれている。
 あらゆる技能を修得済みである事が由来らしく、沢山のソウルストーンという石に、今まで培ってきた経験を封じ込めて保管しているそうだ。しかし、時折その片鱗を見せるぐらいで、特に有効活用しているわけでもない。本人曰く、「面白そうだったから学んだだけ」との事。
 働き口に困りそうにないのは、正直なところ羨ましい。

 堅苦しい会議もようやく終わり、ポーションの補充が待ち構えている事に憂鬱な気分を感じていると、えも言われぬ悲壮感を漂わせてくる男がいた。リッキーである。
「どっちにしようかなぁ」
 彼は、俺やライムとは違い、導入問題の煽りを食らっている内の一人だ。
 呪文等の説明を盛り込んである資料を、食い入るように見つめる戦士。まるで八徳学校で見かける出来の悪い生徒のようだが、騎士道と死霊術、戦士にとっては双方どちらにも有効な呪文があるのだから、彼らが迷うのも仕方ない。

「なぁ、ライム。騎士道ってどうなんだ?」
 リッキーが堪らずライムに助けを乞う。まずは経験者でもあるスキルマスターの意見を聞いてみようってわけだな。
「便利よ」
 そりゃそうだろう。だから導入する事になったんだ。けれど、リッキーが聞きたいのはそういう事じゃなくてだな……って、こいつは一体何が聞きたいんだ?
「じゃあ、死霊術の方は不便なのか?」
 便利か不便かだけで決めるのかお前は。
 そうじゃなくて、戦士ならもっと別の要素で決めるべきだろう。多対一の戦いに向いているだとか、出来るだけ遠い間合いから仕留める事が出来るだとかさ。
「便利よ」
 そう。そうなんだよ。どっちも便利だから、ライムは遠回しに自分で決めろと言ってくれているんだよ。そうだよな? じゃなきゃ、俺にはどう考えても口うるさい奴を適当にあしらったようにしか見えないぞ。
「フィズはどっちか学んでみるのか?」
 そこで俺に話を振るか。
 興味無さそうにしていたライムが、眼鏡のせいで三倍ぐらいに膨れ上がった目をギョロつかせる。頼むからあまりこっちを見ないでくれ。
「でも、お前はポッターだから必要ないか」
 何だその『ポーションの人』的な意味合いのあだ名は。心外だねぇ、実に心外だ。
 リッキー、まさかきみは、俺がポーションの為だけにロゼ嬢に飼われているとでも思っているのかい? はは、正解。紫樽一年分進呈。俺も薄々そう感じてた。
 しかし、実の所どちらも学ぶ気は無いんだが、呪文効果を実際に見てみれば意見が変わるかもしれん。
「そうだよな。この資料だけじゃ解り難いしな」
 いや、この資料だけでも十分理解できると思うぞ。というか、ライムの方から硝子に亀裂が入ったような音がしなかったか?
 当の本人は、何やら可愛らしい紙に包まれた箱を取り出しているではないか。
「ねぇリッキー、これ差し入れのお菓子なんだけど、ロゼさんに渡してきてくれないかな?」
「ん? ああ、いいぜ」
 中は恥ずかしいから見ちゃダメよ。って、そんなに念押しするぐらいなら、ライムが自分で渡してくればいいじゃないか。
 会話が止んでしまったので、手持ち無沙汰だった俺は資料をパラパラと捲る。
 今頃気付いたのだが、これを編纂したのはライムだったらしい。挿絵付きの解説を見ていると、技能ばかりじゃなく絵心もあったんだなと思わず感心してしまう。
 これで解り難いってのは、あいつも相当理解力に乏しい奴だ。などと考えていると、ライムが俺の袖をくいくいと引っ張ってきた。
「あれがブラッドオース」
 それだけ言い残すと、聞き返す間もなく彼女はパッと姿を消してしまった。
 ――ああ、ハイドってやつか。俺にとっては騎士道や死霊術なんかより、そっちの方が余程便利そうに見えて仕方ない。
 ところで、ブラッドオースがどうとか言っていたが、たしか死霊術にそんなのがあったなぁと解説を探していると、やや離れた所から苦しげな呻き声が聞こえてきた。
 急に騒がしくなる部屋。ギルドの人間たちの視線が一箇所に集まっている。
 ロゼ嬢だ。
 彼女が、通称“ホワイトレディ”と呼ばれるようになった由来でもある白銀のチェインメイル。何とその左肩のところには、クロスボウのボルトが深々と突き刺さっていた。
「くっ……、リッキーあんた……」
 あいつがやったのか? 何のために?
 そうこうしている間にも、まるで朱い花が咲くように血の滲みが広がっていく。
 不覚にもそれを美しいと思ってしまった俺だったが、何が起きたのか見極めようと立ち上がって見てみる。するとロゼ嬢の前には、先程のライムの箱が開けられているではないか。
 お菓子にボルトが混ざっていたのかと思えば、どうも違う。俺はしばし考えた挙句、細工技能で作れる『トラップボックス』の存在をやっと思い出した。
 目の前の現実が受け入れられないような顔をしたリッキーが、何か必死に弁明しながらこちらを指差す。って、俺は関係無いぞ、それはライムだ。とは言っても、あいつは姿を消している最中だがな。
 彼女――ライムはこうなる事態を見越していたから、予めハイドで姿を隠したという事になる。もしそうなら、あれはどういう意味なんだ? 彼女が消える寸前に言い残した言葉は――。

 ロゼ嬢はよろよろと立ち上がると、左肩のボルトに右手を添える。そして苦悶の表情を浮かべながら歯軋りをし、ぐりぐりとゆっくり抜きにかかる。
 その様子を見た人間は、まるで自分の肉を抉られているような錯覚に陥る事だろう。元来、血とか臓物の類を見るのが苦手なので、俺はその光景に目を閉じずにはいられなかった。
 やがて、棒のような物が床に落ちた音が耳に届く。
 そっと目を開けると、ロゼ嬢が自分の所に罠箱を持ってきた男に飛び掛るのが見えた。
「何て事してくれんのよっ!」
 彼女は服を引き千切らんばかりにリッキーの胸倉を掴むと、硬いガントレットに覆われている右手を、力いっぱい彼の顔面に叩きつけた。
 メイスでスケルトンを殴った時のような鈍い音が断続的に響く中、俺の背後から声が聞こえてきた。

「便利よ。使いようによってはだけどね」

 遠慮しておく。
 それよりも、姿を消したまま背後に忍び寄る、そっちの技能を学んでみたいもんだな。

 

The End

 

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