ニュジェムビーチバーにバーテンダーとして配属された初日、その客はやってきた。
見るからにずぶぬれで乾く気配も無い。
彼は濡れたまま椅子に座り、エールを大量に購入した。
エールをぐびぐび美味しそうに飲むと、彼は私に語りだした。
彼がやってきたのはついさっき。
海を渡ってきたのだという。
その前は薄暗い湿った洞窟に住んでいた。
彼の日課は縄張りの見回りと、ブラックパールを摘むこと。
拾い物のたった一本のエールをけちけち飲むのが至上の楽しみだったらしい。
不憫な話だ。
彼がそんなしけた生活を強いられなければならなくなったのは、時代の流れによるものらしい。
最近は縄張りにやってくる連中もなかなかいなければ、いても素通りされてしまい、仕事にならないのだとか。
羽振りの良い連中ばかり甘い汁を吸っているんだ。
そう言って彼は湿った手でカウンターを叩いた。
それでも彼はそこでしばらく耐えて地味な生活を送っていた。
彼が決断したのは至上の楽しみであるエールが残り数滴になった時だ。
エールを求めて彼は他人の縄張りにこっそり入り込んだ。
そこは彼の縄張りとする湿ったかび臭い地面ではなく、乾いた地面が続き、手にしたこともないような大金が落ちていたという。
さらに彼は暖かそうな衣服を見つけた。
力強い弾力にすべらかな肌触り、色は真紅の重厚な輝きだ。
彼は自分の安っぽい服を脱いで、その高級な真紅の服を着てみた。
侘しい生活を送ってきた彼には上流階級に昇進したかのような夢見心地な気分だったとか。
しかし、そんな彼の上流階級気分も束の間で終わりを告げる。
彼の気分を代弁するかのように、どこからともなく心地良いハープの調べが流れてきたかと思うと、彼は一瞬で射殺されてしまったのだ。
どうしてあんなに油断してたんだろう。
彼は不思議そうに言ったが、悔しそうではなかった。
なぜなら彼の手にはその時見つけた真紅の服が残っていたからだ。
咄嗟に保険をかけたのだと彼は自慢げに語った。
最近は保険制度という新しい制度がすっかり定着してしまい、人によっては仕事がやりにくい世の中になったが、
まさか自分がこの制度を活用することになろうとは思わなかった。
そう言って、彼は上機嫌でぬれたままの体にその自慢の真紅の服を纏った。
それに射殺されたおかげで彼はこの青い海、白い砂浜に来ることが出来たのだという。
好物のエールも好きなだけ飲めるし確かに幸運なことだったのだろう。
まさに彼にとってのバカンスが今なのだ。
大事な物には保険をかけなくちゃな。
彼は語り終えると、席を立った。
その時、静かなハープの調べがどこからともなく流れてきた。
彼の動きはぴたりと止まり、
次の瞬間、彼の体は勢いよく弾け飛んで服だけスライムのようにぐしゃっとその場に落ちた。
「PM効いたみたいー!スキル足りないと思ったのに良かったー」
「でもなんでこんなところにブラッドエレメンタルが居たんだろう・・・」
「しかもすごい弱かったしねぇ。イベントかなぁ」
「うわっこのブラッドエレメンタルすごい貧乏・・・。200g位しか持ってないし、あとはブラックパールにポーション・・・エールだけ?!マジックも無いよ」
「なんか水エレの戦利品に似てる・・・」
バーに入ってきた冒険者風の二人は、彼の死体を熱心に漁っていたが、そのまま酒も買わずに出て行ってしまった。
今回、彼は保険をかけ忘れてしまったようだが、実はそうじゃない。
彼が弾け飛んで次の配属先に飛ばされていく一瞬、私は確かに聞いたのだ。
「保険に必要な金額がバンク内に足りないようです。」
どうやら彼はエールを少し買いすぎてしまっていたようだ。
彼のバカンスは束の間で終わってしまったが、バカンスというのはそういうものなのだろう。
これからもたくさんの人々が短いバカンスを楽しみにやってくる。
ニュジェムビーチの夏はまだ始まったばかりだ。
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