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プリーズ・バイ・ミー



 ノイスはあちこちを旅しながら行く先々で商売をしている行商人だ。街から街へ、色々な商品を売って渡り歩いていた、そんなある日の事だった。

「ねぇ、おにーさん。私を買ってくれない?」

 驚いて声のほうへ振り返ると、そこにはどこか気品が漂う純白のウェディングドレスを纏った女性が、膝を抱えてノイスをじっと見ていた。綺麗な女性だなとノイスは思ったが、それ以上に意味不明な科白にしどろもどろになる。新手の商売か何かだろうかと思ったが、とりあえず値段を聞いてみるノイス。
「ちなみにいくら……?」
 膝を抱えた女性は俯いて暫く自分の値段について考えると、ふと思いついたように顔を上げて答える。
「10000kってところでどうかしら」
 今まで生きてきた人生の中で、見たことも聞いた事も無いような値段にノイスは思わず噴出す。片手と顔を左右にぶるぶると激しく振って、
「無理だよ、無理無理。格好を見れば判るだろ? しがない行商人に払える金額じゃないよ。悪いね」
 そう言ってノイスは立ち去ろうとした、だが膝を抱えた女性はノイスを引き止めるかのように、更に言葉を続ける。
「じゃぁ、いくらなら買ってくれますか?」
 何を言ってるんだこの娘は、とノイスは困惑した表情を浮かべる。ここまで自分に食い下がる理由が一体何なのか、彼女をそこまで突き動かす動機は一体何なのか、ノイスは少し知りたくなった。まぁ、興味本位と言ってしまえばソレまでなのだが。
「その格好、結婚式じゃなかったのか? 婚約者も心配しているだろうし、酔狂な遊びなんかやってないでさっさと婚約者の元へ帰ったほうが良い」
「嫌よ」
 即答だった。強張らせた表情から察するに、もう嫌とかどうとかいうレベルではなく生理的に無理ですといったような感じだ。
「だって、顔がモンバットみたいなのよ!? 絶対嫌よ!」
 ノイスは正直呆れた、というより掛ける言葉が見つからなかったと言って良いだろう。モンバットみたいな顔、まったくもって想像はつかないが──ここまで嫌がるからには相当な顔つきなのだろう。
「ま、まぁ…婚約者は良いとして。(良くは無いんだろうが)……親御さん、そう、親御さんだってきっと心配しているはずさ。帰ったほうが…」
「あの人達にとって、私より自分達の『家』とかそういった事の方が大事なのよ。だから心配してるとしたら、この結婚が破談になって、更には貴族中から白い目で見られるんじゃないかって、ただそれだけよ…。それに、いくら向こうが貴族で1・2を争う程の権力を持っている名家だったとしても、私にも相手を選ぶ権利ぐらいあるはずだわ。だから逃げ出してきたのよ」
 膝を抱えた女性は、少し寂しげな表情を浮かべる。その目には、うっすらと涙が溜まっていたように見えた。
 ノイスは正直、商売人とは到底思えない程に誠実で馬鹿が付くほどに優しすぎる人間だ。だからこそ、こういった話を聞いて黙っていられるはずもなく、何とかしてやりたいなと思ってしまう。
「ねぇ、君は目玉焼きは焼けるかい?」
 目をぱちくりとして、戸惑いの表情を浮かべる膝を抱えた女性。誰だってこんな唐突な質問をされれば、理解に苦しむはずだ。だが、膝を抱えた女性が取った行動も、実に唐突なものだったと言えるだろう。
「フッ……ウフフ、アハハハハ」
 笑ったのだ。それも腹を抱えて、大いに。
 その行動を見たノイスは、自分が突飛も無い変な質問をしたなと改めて考え直して、顔をデーモンのように真っ赤に染める。そして頭を掻きながら俯き加減で、
「ご、ごめん。唐突過ぎた」
 と謝る。
「ううん、良いの。目玉焼き、ね。うん、貴族は家事って従者の仕事だからやらないんだけど、私はちょっと特別で料理、洗濯、家事全般は何でもこなせるわ。だから当然、目玉焼きも焼けるわよ」
「そうなんだ。こんな質問したのも、実はちょっと目玉焼きに思い出があってね。だから焼けるっていうなら、次の街まで一緒に行かないか?」
「そうね、こんな所に何時までも居ると見つかって連れ戻されるかもしれないし。一緒に行くわ」
 そう言って膝を抱えた女性は立ち上がると、すっと手を差し伸べてきた。それをノイスはぐっと握って握手をする。
「僕はノイス、ノイス・イレーガン。よろしくね」
「リリーザ・フィル・レルバニアよ。久しぶりね、ノイス」
 その名前を聞いた瞬間、ノイスは少し首を傾げる。リリーザ・フィル・レルバニア。幼い頃一緒に遊んでいたリリーザという女の子が、養子として貰われて行った先が確か貴族のレルバニア家。
 その様子を見ていたリリーザは、こみ上げてくる笑いを抑え切れなかった。
「アハハ、びっくりした? ノイスったら全然気づいてくれないんだもの」
 落ち着け、冷静になれ、そう自分に言い聞かせてはみるが、ノイスの頭の中は完全に混乱状態に陥っていた。だから次の言葉もありきたりな物しか出てこない。
「最初っから僕だと判ってて……?」
「うん、当たり前じゃない。婚約者だもの、街中で見かけたときに一目で判ったわよ」
 リリーザは、笑い涙を拭きながら答える。
「え、でも。アレは幼い頃に交わした約束だし……、それに、さっきも言ってたじゃないか。顔がモンバットみたいな奴と結婚させられそうだ、って」
「ああ〜、あんなの全部ウソよ。貴方をからかう為の、ウ・ソ♪ レルバニア家のお父様とお母様は、自分が好きになった人と結婚すれば良いって言ってくれてるわ」
 ノイスは口をポカンと開けて、呆然と立ち尽くす。
「それにしてもノイス、目玉焼きの事覚えててくれたのね。私、すっごく嬉しかった」
「あ、ああ、忘れられる訳が無いよ。いつまで経っても上達しない料理の練習で出来た、焦げた目玉焼きばっかり毎日のように食べさせられてたんだから」
 リリーザは、ペロっと舌を出してゴメンゴメンと可愛らしく謝る。
「でも今は目玉焼きだけじゃなくて、ケーキだってバッチリ焼けちゃうんだから」
 誇らしげにそう言って、リリーザはノイスの腕を掴んで身体をひっつける。小さい頃にレルバニア家に養子として行ってから、ずっとずっと想って来た相手。大人になってから育った村へノイスを探しに行ったが、ノイスは既に行商人としてあちこちを旅していると知った。
 それからずっと探し続けて、三年目にしてようやく逢えたのだ。街で見かけてから、すぐにでも結婚できるようにとドレスを着てきたのだ。だからこそリリーザは、頬を赤らめながらノイスへ思いの丈の全てをぶつける。
「だから……ね、私を買ってくれますか?」

 その日、街には祝福の鐘が響き渡った──。

 

The End

 

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